ばしこ氏のブログ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

コラム:「死」とかいうコンテンツ

あーーーー死にて~ーーーー

 

とか思ったときにいつも「死」そのもののことを考えてだいたい冷静になる。

冷静になって、「死」をコンテンツ化するアレにかなりムカつく。

いやなんていうのかな、もうめっちゃ手垢つけるじゃないですか、死体に。

死人に口無しだからって、いい気になって、死体を自分の言いたいことの代弁に使って、みんなで死体を回していくじゃん。

死体の背中から手を突っ込んで、パペットみたいにみんな使うじゃん。

それがとても嫌だ。

そりゃ色々あるでしょう。もちろん、死者が真に心を許したごく少数の人々が代弁するならまだ死者も許すでしょう。

けどそれ以外の人が勝手に死者を使って話すの、よくできるなそれ、と思う。

みんな平気で人の死体を感動や議論の盾にするけど、そんな戦争中にやったら外道として扱われるような戦術を、なんか当たり前のようにやっている。

 

死者はなにもしゃべれねぇ。

 

生きてる人の代弁すら難しいのに、なんでそんなことができるんだろうか。

生きてる人の代弁を勝手にして「全然違います」とか「あんたの話に勝手に寄せんな」みたいなこといくらでもあるのに、なぜ死者でそれが起こらないと思うのか。

いや、むしろ、たぶん、死者だと、口無しだからなんだろうね。

いくら死者が全然思っても感じてもいなかったことを勝手に代弁して、死者が別に大した思い出でもなかったことを勝手に感動激泣き号泣クソクソストーリーにして、ハンカチ噛み締めるような、そんなことをして、死者がいくら不快でぶちギレてぶっ殺したくなっても、何もできない。

死の前に、感動ストーリーに、本人以外だーれも反論できない。

 

僕は大した有名人じゃないが、若いうちに派手な死をしただけで"箔"がつくだろう。

そんなのはごめんだ。

みんなで死体を晒し上げ、悪意もなくいいね!悲しいね!許せん!を死体にベタベタ、ベタベタといらん言葉をはっつけていく。

クソみてぇな箔、がつく。

箔だらけで吐く。吐き気。

死で悲しんでいる人もいるなかで、勝手に皆が死者の代弁者になる。

僕がセンセーショナルに死ねば、何も知らん聞いたこともないアホが勝手に僕の理解者として名乗りを上げて感動お気持ちストーリーを語りだしたり、死ぬに至った社会をぶっ壊すための怒りのエピソードを勝手に読み取って。

僕は否定を何もできねぇ。

「僕の死」コンテンツは著作権フリーになる。

なのでいらすとやのごとくどこにもかしこにも貼り放題使い放題、いくらでも晒し首。

 

そう考えるとめちゃくちゃ死にたくねぇ、と思うんですわ。

死ぬ前に代弁しろ。

そして否定されろ。

そうしてせめて僕に近づいてから代弁しろ。

 

そう、居もしない代弁者に勝手に怒る夜であった。