ばしこ氏のブログ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

コラム:何者かになりたいという病

何者かになりたい。

 

それを言う人間がクソほど嫌いだ。

 

まあ、同族嫌悪だ。

 

ぶっちゃけ僕も何者かになりたい。

たぶん、何か、芸能人だかライターだかジャニーズだか政治家だか、なんだか知らないが、そのひとつなにかを目指しているうちに色々ごちゃまぜになって、一人の個体として、「あ、ライターの人」とかじゃなくて「あ、ばしこ」と認識されるようになるのがゴールだとは、なんとなくわかっている。

サンシャイン池崎が世間から「芸人」という認識しかされていなかったところから、有名になり、「イエェェイ!の人」となり、そこから「猫好きの人」とも認識されるようになり、それを何度も重ね続けて「サンシャイン池崎」という一人の人間としての価値を認められるような、そんな感じ。

 

そんな論文で書き散らして引用元を最後にガリガリ埋めるような、きれいな整った結論なんて最初から知っているし理解している。

 

だから、何者かになりたいなんて不毛だとはわかっている。

 

わかっているが、なりたいのだ。

 

だからこのコラムに論理もくそもないのでご了承願う。

 

 

この「何者かになりたい病」の何が厄介かって、何者かになりたいだけなので、

実際になっているかどうかは置いておいて、名乗るだけ、ただそれだけで満足できる。

ライターならライターと名乗る。終わり。

インフルエンサーならインフルエンサーと名乗る。終わり。

それに中身はない。

ともかく、「よし、ブログ一個記事書いたから俺はライターだ!」とか

「金で買ったフォロワー集めたからインフルエンサーだ!」とか、

そんな中身のない名乗り。

それが「何者かになりたい病」。

自分のことを同族だと言ったけど、気持ちがわかるだけでさすがにそれを僕は実行しない。

 

それが普通に行われ続けている。

そうすると何が起こるかと言うと、サジェスト汚染と言うか、言葉の意味そのものが汚染される。

 

www.845blog.com

 

僕は起業部の記事を前に書いて、怒った。

 

もちろんここに並べたおしなべてきれいなお話ももちろんあるが、単純にクソ嫌いなのもある。

 

なぜなら、「起業」というワードが、散々に凌辱されてしまっているからである。

何者かになりたいが別に何者を目指しているわけでもなく、とりあえず「起業」を名乗ることにしたクソ共によって、「起業」というワードがけがされ、「嘘くさい」「起業家っていうだけでなんかアヤシイ」という印象を持たれることが出てくるようになってしまった。

 

欲望のままに「起業」を乱暴に振り回し、そうしてそこらに放り捨てる。

 

起業だけじゃない。

インフルエンサーだのオンラインサロンだのエヴァンジェリストだのなんだの、新しい言葉はどんどん出てきていて、ちゃあんと中心部にはしっかりとしたコンテンツや人が詰まっているのに、何者かになりたい何かによって、そのワードは次々と穢されていってしまうのである。

 

これが死ぬほど嫌だ。

せっかく新しく誕生したはずのワードや概念が、「何者かになりたい病」の疾患者によって、イナゴのように大群となって押し寄せ、食い荒らし、ただただ、「嘘くさい」だのなんだの、そういう悪印象だけを残して、次のえさ場へ逃げていく。

 

いや、僕だって、何者かになりたい。

それはわかる。

 

けど許せん。

食い荒らされたワードが、まともな概念を取り戻すまでどのくらいかかる?

広大な草原に、また一から種まきを始めねばならない。

一度染み付いたイメージはなかなか取れない。いいイメージを、広め直さないといけない。

そんなことはおかまいなしに、今日も何者かになりたい人間は、何者かということを、定義づけてくれるワードを探して飛び回る。

 

だから繰り返しになるけど、僕はいまだに九大起業部の話は根に持っている。

これでも起業自体を僕がやる予定がないから、別に怒っていないほうなんだけど、

大学側が「何者かになりたい病」を無視して、「起業=嘘くさい」というイメージを積極的に流布しにいくって、本当に何を考えているんだ、九大という旧帝大のイメージの強さ本当にわかっているのか、と思った。

怒った。

そうしてまた、あれをネタに誰かが「僕らは九大起業部と同じことをやっている」とイキりだし、さらに患者を増やしていくのかと思うと、もう本当に嫌になる。

 

勤め先では既に「本」が汚染されていた。

本を読む人はえらい。本を読む人は、意識を高めるために読んでいる。

そんなわけがあるか。おもしろいから読むに決まってんだろぼけ。

本に付与されたイメージが払しょくされるのは、もうその世代が定年なるまで待つほかない。

 

 

結局、「何者かになりたい人」や、いわゆる「意識高い系」は、何かになりたい。

だからこそ、テキトーなものを名乗る。流行りものを名乗る。

名乗ればすぐなれるものを名乗る。

そうして言葉を汚して消えていく。

 

 

まー結局、自分も、同族嫌悪だから、このすべてが自分に返ってくるなんてことはわかっちゃいるけど、それだけやっぱり嫌いなのである。

 

別に途中過程はいい。

何かになりたいと思うのはいいし、何者かになりたいという嘆きもわかるが、ただ、言葉を汚さないでくれ。

 

言葉を、しっかりと根付いた、きれいな花畑を、君らの「何者かになりたい」という欲望で食い荒らさないでくれ。

 

それだけである。

 

 

何者 (新潮文庫)

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  • 作者:朝井 リョウ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/06/26
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