ばしこ氏のブログ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

日記:「継続」できないワナビの地獄~完璧を求めてできない日々~

継続の方法がさっぱりわからない。

 

というのも、この当ブログも、十分に続ける理由があるのだが、どうも定期的に飽きる。

書きたいネタもあり、十分ネタもあり、時間もあるのだが、どうも書く気が起きるときと起きないときの差が激しすぎる。

 

とりわけ、この1か月間は完全な虚無期間で、それに加えて土日も出かけてばっかりだったもんだから、全く書けていない。

 

何かを継続するということが昔からさっぱりできないのだ。

 

唯一試している方法として、こういう、特に意味のないものでも、とりあえずは埋める、という方式だ。

今までわりとまあまあなアクセス数の記事を書いたから、ただの日記を書くのはちょっと…というところがあるんだけれども、それをして半年全く書かねえ、なんてことになったら本末転倒である。

 

だから毎日「何かしらの記事を書く!」と決めてしっかりできる人はすごいな、と思う。

僕の場合は、自分の決めた決め事はさっぱり守れない。

どんどん後回し後回しとなる。

他人がケツを叩けばするのだが、全て自分に課せられていると、どうも後回しにしてしまう。

 

じゃあそれはなんでか?

 

・自分ができないレベルのことを求められているから

ノーだ。全然できる。だいたい後回しにしていることの大半は、追い詰めたら簡単にできる。ただ、追い詰められるまで絶対にやらない。死んでもやらない。夏休み終了三日前になるまでテコでもうごかない。

ADHDの症状だとよくいうのだが、治し方は不明。

 

・全く余裕がないから

これもノーだ。たしかにアドレナリンやら眠気やらで厳しいこともあるにはあるが、もしこれが「今日中に締め切り、書けなければ何人もの人に迷惑がかかる」という縛りがあれば絶対に完成させられる。

しかもそれは完徹してようやくできるものか?というとそうではない、たぶん遅くても深夜0時とかに終わるレベル。だから余裕は全然あるはずだ。

 

・いらん完ぺき主義がある

たぶんこれだ。

これが一番大きい。

わからない人にも、これがどういう発想なのか、共有しようと思う。

「いらん完ぺき主義」とはどういうことなのか。

まず、例えば自分が小説を書いているとしよう。

自分の中でイメージが出来上がる。イメージは完ぺきだ。

なんとなく「どういうものがいいか」のイメージはできているので、「こうこうこうで、こういうものが出来上がれば完ぺき、すぐさま芥川賞候補に入って、あっさり入賞する。そうして記者会見に挑める。さて、記者会見では何を話そうか。あえてクソダサいTシャツで行くか?やめておくか?」ということを考える。

 

バカにしないでほしい。わりと本気なのである。

 

しかも、生まれてこの方、小説は最大15Pくらいしか書いたことがない。

(※芥川賞はだいたい原稿用紙100~200枚前後。1P原稿用紙2枚分だとしても3分の1にも満たない)

 

しかも、芥川賞以外の賞に出したことがあるか?入選したことがあるか?

そもそも賞に応募したことすらないのである。

(※通常、芥川賞に受かるまでにほかの雑誌の賞をもらって、何度か掲載機会をもらわないとそうそう候補にすら入らない、というか、ほかの雑誌で評価すらされない作品がいきなり芥川賞には入らない)

 

しかし本人は驚くことに本気なのである。

 

逆に「ここまで自信あるならそのまま書きまくれば受賞するのでは?」と思うが、そうはならない。

 

なぜか?

 

世間に出さないからである。

完成させないからである。

 

これはおそらく世のワナビもそういう発想だと思う。

ここまで自信があるのは、あくまでも”自分のイメージ通りに完ぺきに物事が進めば”の話であって、ぶっちゃけそうはうまくいかない。

 

まず、作品制作の段階でつまずく。

 

作品を作って、ある程度形にしていくにあたって、だんだんと「あれっ、これじゃ芥川賞取れないな…」とだんだんとわかってきて、それが妄想であったことが判明してくる。

 

ここで「あ!妄想だったのか~~くっそ~~~もっと地道に頑張るか!!」

 

とは絶対にならない。

 

なぜか?

 

そりゃ、自分が現時点で芥川賞取れる!とガチで思っていて、取った後まで考えていたら、その妄想全部崩すの嫌だからね。

ようは現実逃避です。

その妄想を守るために、盾を作るんです。

自分の作品は、自分のイメージの中では最強。

 

「え、いやいや、どうせなら未完でもどこか出せばいいじゃん、減るもんじゃないでしょ?」

 

違います。ワナビにとって、”作品を世に出す”は、減るもんです。

 

どういうことかというと、例えば僕が芥川賞が取れるかもしれない作品の案Aがあるとします。

その作品を書いて投稿して失敗します。

そうなったら、誰かがそのアイディアをパクる可能性が出てきて、せっかくの自分の理想像を悪用されしまう可能性があるんです。

 

すごい発想ですよね。でも僕はいまだにこの考え、自分でバカにしつつも100%捨てきれてないんです。がはは。

 

それ以外にも、完ぺきにすれば芥川賞取れる!って作品を6割の力で出して落とされて、以降入賞できなくなったら最悪じゃないですか?そう思うと出せないわけです。

 

これ、「じゃあ10割にすればいいじゃん!」というとこなんですが

 

できないんです。

 

永遠に10割にはならないんです。

 

完成させないから。妄想の中だけで話が終わっているから。

 

 

 

↑こういう漫画の人とかもまさにワナビですね。

 

十分な実力を持っているはずなのに、表に出ないから、表に出た時に失敗して妄想が崩れるのが怖いから、行かないんです。

 

一回の失敗ですべてが終わると思っているんです。

 

普通、先ほどもちらっと触れましたが、何か作品を作っているならば、いろんな賞に応募するのが普通です。

 

しかし、ワナビにとって「今全力を出せば必ずプロになれる」という妄想は、一番守りたい妄想なのです。

一度の失敗で、それはすべて崩れ去る。

一度投稿して失敗したら、それは「将来的にはなれるかもしれないけど、今は無理!」ということが確定してしまうわけです。

 

それをなんとしてでも避けたいと思ってしまうのがワナビです。

 

全て、受け身なのです。

 

ワナビは絶対に自分から積極的にどこかへ行きません。

投稿しません。

応募しません。

自分が絶対神だと信じているから。

だから、適当に生きてて適当なところやSNSとかに作品流しておけば、すごいスカウトが来て即プロになれると思っているのです

(ひどい人は、SNSにすらあげないですが)

 

僕もそうなのです。

 

僕はこういうブログ書いている時点で、まあ多少は脱する傾向にあるのでしょうが、いまだにそれが抜けません。

 

だから、今日書いているブログだって、推敲をわざとしていません。

 

アクセス数や反響がなかった時に

 

「いや、推敲してないから…」

「普段と違い、目次もイラストも使っていないから…」

「一発書きだから…」

 

そういう盾を準備してしまっているんです。

 

(参考:ゆうきゆう「マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第63回「『私、バカだから』という人の正体。 セルフ・ハンディキャッピング」)

http://yusb.net/man/771.html

 

↑以上の、医師の観点からでも、こういった行為は「セルフ・ハンディキャッピング」と命名されており、どっちに転がっても得なので、そういう言い訳をしてしまうというところがあります。

 

まあただ、僕の考えでは、セルフハンディキャッピングしちゃっても、しないよりましかな、と思いますけどね。

それをしまくることで、さすがに現実がわかってきますので。

 

一番まずいワナビは、ずっと引きこもって、一度もペンを持ったことがないのに「この小説家よりすごい小説がおれは書ける!!」と思い込み、そのままのたれ死ぬことです。

 

僕はブログに関しては、まあ「こうしたらこういうアクセスがくるんだなあ」「手抜くとさすがにこないんだなあ」ということが、ともかくわかってきました。

とりあえずは出しまくることで。

 

セルフハンディキャッピング使ってても、何度もしてりゃそのうち自分の実力がわかってくるんですよ。

例えば「あー推敲せんで手抜いて文章書いたわwwww」とか言ってて、最初は100PVとかだとして、けどさすがにそれじゃヤダ!となると、本人も頑張ってもうちょいいろいろ試行錯誤して、1000PVとかに到達する。

セルフハンディキャッピング使っても、「さすがにこれはねーだろ」という限度があるので、本人が納得する限度まではある程度行くんですよね。

 

ただ、ここからが問題。

それを毎日繰り返して、1日1万PVのブログが出来上がったとしましょう。

本人の最終目標がそれなら、別にいいと思うんですよ。

ゆるくやりながら1万PVをめざす、とかね。

ただ、これが「最終的には本気出して1日10万PVをめざす」になっている状態でこれやってるとまずいんですよ。

毎回1万PVなのに「いや~~~本気出してないだけだから」が発動してしまう。

だから、例えば、一度は推敲しまくっていい文章を5時間かけて完成させるとかして、その時の反応を見なきゃ、自分の「本気」がどのくらいかわからない。

妄想の中だけで、自分の本気が最強になってしまう。

自分の目標が、どんどんなあなあになっていく。

 

それがワナビです。

・自分の目標を目指せない。いつも100人中30位どまり。1位は目指さない。

・絶対本気は出さない。本気出して100人中5位だった時のショックがヤバいから。

・自分の中ではぶっちぎり最強。妄想の中では、たとえここに1000人いても1位取れる。ただしそれは本気を出したらの話。ぜったいそれは出さない。

 

それがワナビ

「本気!」とか「やる気!」って言葉が嫌い!という人は世の中に多いが、それは他人に強要されるからいやなのであって、自分で決めた目標には、自分で課さないと誰も課してはくれない。強要するな!という文化も出来上がってきているので、だれも強要しない。

自分で、本気を出すことを強要しなきゃ、本気は永遠に出てこない。

 

ここまで書いても、ここから別に「僕は今日から、ワナビをやめます!!!!!」なんて展開にはなりません。

 

なると思いましたか? そんな奴ワナビではない、たぶん。

 

 

 

まあでも、あんまネガティブなことばっかいってもね。

 

とりあえず、僕はブログを一応は書いているわけだし。

 

膝抱えてこもってるよりかは、前進してると考えましょう。

 

 

別段、ワナビの抜け方を書いたわけでもなんでもないですが、ワナビの方々は自己分析の参考にでもしてくださいな。

たぶん他人に「こうしてワナビを抜け出せ!!!」とかいうクソみてえなこと言われるより絶対マシだと思うので。

 

おわり。