言葉は水物、すぐに死ぬ

意識のうちに消失しないうちにさっさと文章にしましょう。漫画や小説の評論とか、日ごろの言いたいこととか。

モバイルバッテリーとか充電器持ち歩く人あるある~クソ便利なバッテリーを買え~

・モバイルバッテリーとか充電器をよく持ち歩く人によるあるある

 

~外出先にて~

 

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おっ、コンセントあるやんけ~充電するで!!!!!

(※めっちゃ家の机ですが外出先と想定します)

 

 

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ガサゴソ………



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んっ?????



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ファーーーーーーーーwwwwwwwwwwww


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アアアアアアアアアアアイイイイイ!!!!!!!!!!

 

 

はい。これあるあるだと思います。

コンセントの先を忘れたり、そもそも充電器じゃなくてケーブルだけ持ってきていたり。

仕方なしにバックをアサリ、モバイルバッテリーをさがすも…

 

 

 

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ガサゴソ……


 

 

おっ!!!!あった!!!!!!

 

ん・・・????

 

 

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電池がなあああああああああああああああい!!!!!!!!!!!!

(わかりづらいが赤ランプ)

 

これで充電できる手段がなくなりました。

 

詰みですね。よくやらかします。もう何度やらかしたことか。

なのでとりあえずモバイルバッテリーをバッグにぶち込みまくって三つも四つも買いましたが、結局どれが充電出来ていてどれができてないかわかってなかったため死にました。

 

うーんこの。

 

しかし!!!!!!!!

 

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シャキン!!




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これ充電器にもナッテルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウルルルルルルルルル!!!!!!!!!!!!!!
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充電できるぅうううううウウウウ


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モバイルバッテリーの充電もそのままできるぅうううううううううううううううううううゥルルルルイヤァイヤァイyぉおおおおおおおおおおおおおえいwqwれw23

 

こういうハイパー便利な充電器かつモバイルバッテリーです。

Panasonicのやつですね。

マジでこれ神だと思います。

充電器と一緒なの最高じゃない???????

くそずぼらなのでこれ一個ズドン!!!!ハイ終わり!!!!!!!!!!なのくそ楽だし。

 

モバイルバッテリーだけ持ち出して、外でモバイルバッテリーを再充電する手段がない…とかなってもいけるし、今目の前にコンセントあるからモバイルバッテリーの充電使いたくねえ…ってときもすぐいけるし。

 

 

だがまだやらかすことがある。

 

 

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よーしこの神モバイルバッテリー持っとったらいけるやろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?

 

 

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ケーブルがなぁぁああああああああああああああああああい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

モバイルバッテリーだけいれてケーブルだけ入れ忘れるパターンね。

モバイルバッテリーの意味が一切ない。

コンセントとしても機能しない。

最悪のパターンです。

 

 

そこで…

 

 

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んっ?

 

 

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おっ?ポーチか?



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おっ?????????

 



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おおっ?!???!?!?!?!・



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ファーーーーーーーーーーーイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

ポーチ兼ケーブル!!!!!!!!!!

 

です。

 

これキングジムさんのやつです。

このポーチにぶち込んどきゃADHDのワイでもケーブルと充電器セットで一生忘れない。

 

ずぼらなやつほどこれを買え。

 

クソ便利すぎて楽。

 

楽すぎて便利

脳死

 

 

それでリンク貼りたかったんだけどpanasonicみたら販売終了してた

 

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私は悲しい。

しかもpanasonicだけかと思ったら普通に他社のもあった。
 

 

悲しい。

 

けどキングジムさんのケーブルポーチはキングジムさんだけの専売特許だと思うよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

キングジム ジップケーブルポーチ   ZC10 オレンジ

キングジム ジップケーブルポーチ ZC10 オレンジ

 

 

(ネタにしようかと思ったらマジでこれキングジムお手製でほかやってねーわ)

 

キングジムさんもっと宣伝しようや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

はい。以上。買いましょう。

 

セルフレジの投書が言いたいこと~商店街コミュニティ~

かまたまる on Twitter: "これを読んでセルフレジ化をさらにドラスティックにすすめていかなければいけないという気持ちになりました。… "

 

いやいやいやいやいや。

 

全く意味がわからん

 

元々の新聞記事が、じゃないよ?

わざわざこれを取り上げて数万人が「なんだよこいつ~笑」っていう意味がさっぱりわからんと言っている。

 

と、思い、最初はぶちギレ記事を書いたのだ!

だが。

いやいや、待ちなさいよ、といったん落ち着いて記事を読み返し、批判者のコメントもゆっくり読んでいると、なんとなくお互いが言いたいことがわかってきて、そしてそこにある悲しいすれ違いも見えてきた。

 

そこで、このプチ騒動の中でぼくが感じ取った、両者の言いたいところを書いていきたいと思う。

 

以下、当記事の目次です。

 

①元記事のどのあたりが批判されているか?

②「わかる」が、「納得」はしない批判

③批判者と、元記事の、悲しいすれ違い

④本当に「古きよき人間味」はいらないのか?

 

 

順に書いていく。

 

①元記事のどのあたりが批判されているか?

どうやら問題なのは二点。

まず、セルフレジが導入されたことでレジに行けない!もう買いに行けない!という意見。

それに「ありがとうございました、は売る側の最低限のあいさつ」「セルフレジは味気ない」という話を加えているのが批判の対象になっているようである。

 

それに対して「客は神ではない」「買う側の態度も近年は求められている」「そもそもセルフレジに適応できないって何?笑」「この人たちが求めているコミュニケーションとやらで、レジをめちゃくちゃ待たされる」というような批判が出ているようだ。

 

②「わかる」が、「納得」はしない批判

この手の言い分は、まあ、「わかる」。

言いたいことは理解はできる。

第一に、セルフレジそもそも使いたくないよーというわがまま、第二に、お店に「売る側の最低限のあいさつ」を求めている点。

特に後者のほうは、近年、横暴な客や過度なサービスを求める客がおり、それに対してハイハイすいません、と聞く時代ではなくなり、 そういう過度なサービスを求める客に対する批判は高まっている。

それはもちろんわかるし、金銭以上の過度なサービスは求めるべきではないし、そういう「モンスター客」ばかりでは、店は回らない。

 

しかし、この70代女性の投稿者は、本当にそういう「モンスター客」なのか?

 

正直あふれているのは、「この記事の批判」ではなくて、「この記事から連想されそうな、極端な老害」の批判であり、この記事から過剰に「老害」成分を見いだしすぎだと、最初は思った。

 

最初は。

 

しかし、ここをよくよく読み返してみると、記事をどう捉えられるか、そしてなぜそれに若者たちが「老害!!老害!!」と叫ぶのかの答えが、見えてきたように感じた。

 

そこにすれ違いが発生しているのである。

 

③批判者と、元記事の、悲しいすれ違い

ここまでは「批判側の問題かなぁ」と思っていたのだが、冷静に色々見返すと、どうも互いがすれ違っているな、という感じがする。

だもんで、「お互いこういう事情みたいだから、善悪の判断は君らに任せるね」というスタンスで記事を書いていくのでよろしく。

僕はどっちも、善だと思うけどなぁ。

 

批判者は主に「老害」に関して文句を言いたいようである。

新しいものを取り入れず、その上サービス料金を払っているわけでもないサービスを求め、ふざけるんじゃないよ、と。

 

これを一つずつ解説していく。

 

元記事は冒頭、セルフレジ使うの億劫だよね。という話をしている。

ただ一方で「やりたくない気持ちがあるだけで、やればできると思う」、「だが、事実買い物難民(セルフレジが使えない勢)が出てきているのでは?」という話をしている。

まあここは捉え方次第だが、「できなくもないけど敬遠している人結構おるよ」という状況説明であり、別段極端に「新しいものはヤダ!!!死ね!!!!」とは言っていない。

ここで大事なのは、確かに、批判者が言っているような、「新しいものを取り入れようとしていない」ということ自体は事実ではあるのだが、それが「批判するほど、ここまで議論になるほど酷いもの」かどうかというと、違う、という話である。

それを「俺らが言ってることはあってるだろうが!!!」とごり押しするのは違う。

 

ここまでいうと「批判する側がおかしくね?」という流れなのだが、これ以降からちょっと変わってくる。

 

んで、後半で言っている「売る側の最低限のあいさつ」の話をしよう。

ここから書くのはあくまでも「推測」である。

そこはご了承いただきたい。

だもんで、逆に、「批判派だけど、推測違うよ」「肯定派だけど違うよ」って意見があれば言ってほしい。

 

さて、「売る側の最低限のあいさつ」に関してだが。誤解がないよう後半を全文引用する。

 

少し前の商店はお客が来たら「いらっしゃいませ」と声をかけ、品物を渡しながら「ありがとうございました」と言っていた。それは物を売る側の最低限のあいさつだったと思うが、セルフレジは「お支払い方法を選択してください」「金額をご確認の上カードを入れてください」「レシートをお受け取りください」と必要なことしか言わない。何とも味気ない。

 

人はコミュニケーションにより育っているところがあると思っている。子供の頃、近所の商店街のおじさんやおばさんに教えられたことがたくさんあった。戻れる世界ではないことは分かっているが、セルフレジには店側の誠意や感謝を感じることがない。

 

人の心の荒廃がこんなつまらないところから進んでいかなければいい、と思うのは、ただの杞憂だろうか

 

これを見る限り、確かに店側に「誠意や感謝」を求めており、若い人々がこれに対して「老害老害!」と叫ぶ理由がわかる。

 

なぜそういう声が上がるのか?という理由には、「誠意や感謝」といった、抽象的で曖昧なものを求められても、提供が難しいからである。

特にアルバイト含め仕事をしたことがある人間ならわかるだろうが、システムが導入されればされるほど、「その場のノリ」での対応は難しくなる。「これするのめんどくさいからやってよ~」っていうのができない、それをやる、時間がない。

例えば自分はコンビニバイトをしていたが、タバコを買ったら必ず年齢確認の画面タッチをしなければレジは打てないし、賞味期間が1分でも過ぎててもレジを打てないし、「1分くらいええやん!すぐ食うし、売ってや!」ということはできない。

そんな中で「これやってよ~」「これやりたくない~」と言われても応えられないし、そもそもこれに頑張って応えた場合の見返りもないのである。

 

その上、誠意や感謝は捉える相手によって違い、ただ流れ作業のように「ありがとあっした~」というだけでも満足する相手もいれば、「ありがとうございました!」としっかりお辞儀90度でなけりゃ我慢ならん、という人もいる。

それを各方面からあらゆる客が来る店で対応できるかと言われたら、そもそもそれが無理なのである。

 

それを求められた経験、そして応えられねーよ!となった経験がある人々は、やはりどうしてもこの「誠意と感謝を求める老害」にうんざりしており、疲れているし、「そんなん求めるんなら金払ってくれや………」と思うわけである。

しかも度合いが人によって違うので、ひとつの誠意や感謝を聞き出すと無限に聞くことになってしまう。

そしてそれらは年功パワーによって押さえられつけがち。

だから若者は強い心を持って拒絶しなければ、たえられないのだ。

 

 

さて、ここまで書いたところで。

新聞記事で投書をした側の意見を書いていこう。

 

人はコミュニケーションにより育っているところがあると思っている。子供の頃、近所の商店街のおじさんやおばさんに教えられたことがたくさんあった。戻れる世界ではないことは分かっているが、セルフレジには店側の誠意や感謝を感じることがない。

 

ポイントはここであると思う。

この文面から見るに、投書をされた方は町の商店街で育った方なのだろう。

そもそも、商店街というものは、小さな個人商店の集まりでできている。そこでお互いがささえあって生きているようなコミュニティである、と僕は考えている。

小さな個人商店はたかがしれており、大企業に勝てるような力はない。

それは商店街の中の、他の店も同じである。

だからお互いの「助け合い」が発生する。

近いし、買い物いくなら商店街のあそこに行ってあげようか。昼飯はあそこに行ってあげようか。あそこのお子さん、困ってるみたいだから助けてあげようか。

それがいい循環として回りだすと、今度は行ったお店の人が、逆に自分の店舗に来て、「この前来てくれたし、買いに来たよ」と言ってくれる。

これははてなブロガーでもわかるもんじゃなかろうか。

ブログを始めたばかりの、最初は、記事それだけの良さではなかなか評価されないので、こっちもスターを投げるから投げてちょうだいよ、お互い頑張ろうね、とやっていって、地道にスターをため、アクセス数を増やし世に知られていく。

同人誌などでもそうだ。互いのサークルが新刊を交換したり買いにいったり。

少なからず、ブログやツイッター、サークル、など、小さなものでも「窓口を構え、人を呼ぶ」という、店舗のようなものを持ったことがある人間は、この「気持ちのトレードオフ」というものが大事かわかるはずだ。

 

商店街的コミュニケーションはそこだ。

 

気持ちをあげる分、お気持ちを返してね、というもの。

だから、気持ちが返ってこないお店にはみんな行かない。気持ちを返さないのに、みんなが「この人に気持ちをあげよう」としていたら、みんなが「気遣いで」買ったモノは無駄になるのである。

いや、無駄にはならないかもしれないが、商店街の気持ちのサイクルがうまく回らなくなる。互いに商店街でやっていけなくなる。

だからみんな、あいさつだけじゃなくて、いろんな気遣いで商店街コミュニティのサイクルを回していたのだ。

レジでちょっとした愚痴を聞いてあげるとか、自分のとこで取り扱ってない商品のことまで教えてあげるとか。

そういうコミュニティにおいて、あいさつは「最低限」なのだ。

よっぽどコミュニケーションが下手な人であっても、あいさつがあったら、「下手なだけで、気持ちをあげるつもりがないわけじゃないんだな」という判断がつけられる、簡単で、わかりやすいコミュニケーションであるからだ。

だから譲歩に譲歩を重ねた上で、投書している人は「あいさつは最低限」といっている。

だもんで、そのあいさつすら、最低限の、誠意や感謝すら、与えないチェーン店に、商店街コミュニティで育ってきた方々は否定的なのだ。

 

こういう話をすると、「商店街の店がつぶれるのは実力不足」「よりいい店ができるならいいじゃん」とかいう話が出てきたりするが、これには大きな問題があると思う。

 

 

④本当に「古きよき人間味」はいらないのか?

 

結論としては、「確かに求められたら困る場所で「気持ち」を求められたら困る。だけどそういうコミュニケーション、コミュニティは本当に要らないのか?」というところである。

 

出来ないところで求められても対応はできないし、コンビニで気持ちや誠意を求められても困る。それは商店街コミュニティに入っている店ではないし。それを無理に商店街コミュニティに入れられても、という話。そこはいくら70代女性が商店街のよさを語ったところでダメ。コンビニは商店街コミュニティに適応できる作りになっていないし、そういうコミュニティに入りたくて作った店ではない。

 

だが、そもそもその「商店街コミュニティ」そのものは本当にいらないのか???という部分なのだ。この元の新聞記事で言いたいことはそこだと思う。

 

「君らそれを否定しとるが、本当に君らはそういうコミュニティ、いらないの??」

 

これが、僕が一番思ったところである。

そもそもそういう商店街コミュニティは社会のセーフティネットだと思っていて、仮にうまく商売ができなかったり、会話がうまくない人でも、同じ人、同じ店舗、同じようなモノに囲まれて繰り返し繰り返しコミュニケーションや商売を繰り返すから、覚えやすいし練習もしやすい。そういう人たちが練習をし、なんとか社会で生きていけるセーフティネットでもあったと、僕は思うのだ。

なんか仕事や商売にちょっとしたミスや抜けてるところがあっても、いっつも買いに来てくれてるしいいよそのくらい!と許してくれるような、そういうコミュニティ。

そういったセーフティネットがなければ、能力のない人間、ないしは自分の能力がわからない人間はただただの垂れ死んでいくだけの社会となっていく。

まあ、そらぁ能力のバリバリある人間なら、「そんなん知ったこっちゃない。能力のない奴は鍛えろ」としか思わんだろうが、果たして批判している人間のすべては、能力のバリバリある人間ばかりなのだろうか??

 

能力のバリバリある人間で、いやそんな商店街コミュニティとかクソじゃん、いらんよ、っていうなら、まあ好きにどうぞ、という感じだが、果たして、自分達は、「そういうコミュニティは一切要らず、社会で生きていけるコミュニケーション能力も商売力も万全だからいらんよ」、と言える存在か???というのはもう一度思い返してほしい。

 

もちろん先程言ったように、「求められたら困る場所で、誠意や感謝を求められる」というのは困るし、やめてほしい。

 

だが、この新聞記事で言いたかったのは、「誠意や感謝が循環する場所が、そもそも無くない?」というところだと僕は思う。

 

だからお互い、悲しいすれ違いを起こしているのかな、と思った。

 

そこんとこ、考えてもう一度、肯定派も否定派も考えをまとめ直してみてほしい。

 

 

 

今日はこんなところでおしまい。

読んでくれてありがとう。

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商店街機能とまちづくり―地域社会の持続ある発展に向けて

商店街機能とまちづくり―地域社会の持続ある発展に向けて

 

 

 

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

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君たちはどう”イキる”か ~もっとイキれ~

イキり。

というとまあ馬鹿にした意味しかないでしょう。

一応説明しておくと、「いきがる」みたいなことです。

自分を大きく見せたがる行為のことです。

 

 

「俺昔ワルだったwwwめっちゃ暴れてたwwww(ガラス割って怒られたくらい)」

「俺めっちゃモテてたwwwwwwww(童貞)」

「俺昔めっちゃ運動うまかったよwwwwwwwwww(幼稚園の時の話)」

 

みたいな行為です。

はて。しかし最近あんまり「イキり」を見てて馬鹿にする文化が、自分としてはよくわからんなァ、と思っておりました。

しかし自分がそこに疑問を持つのはなんでかなあ、と思ったので「イキり」についていろいろ考えておりました。

よって今から「イキり」とは何か、そしてなぜ馬鹿にするのか…そして我々も「イキって」ないか?イキってもいいのか?どうイキるか??ということを考えていきたいと思います。

 

 

さて早速ですが、イキりって二つに分けられるかなーと思うのですよ。

 

①昔の話の誇張

②今の話の誇張

 

先ほどあげた例は全部①ですね。昔の話。

②は思い浮かばないんで有名なコピペ張りますね。

 

キリトかなーやっぱりww 自分は思わないんだけど周りにキリトに似てるってよく言われるwww こないだDQNに絡まれた時も気が付いたら意識無くて周りに人が血だらけで倒れてたしなwww ちなみに彼女もアスナに似てる(聞いてないw)

 

はい。

これはソードアートオンラインの「キリト」というアニメキャラクターに自分が似ていて、自分はそのキャラのように強い!彼女もアニメと一緒!自分はキリトだ!

っていうイキりです。

まあそんなわけないですよね。

 

①も②もどちらも見ていてわかるのが、現実と乖離しているわけですね。

だからみんな馬鹿にするんです。「そんなわけねーだろwwww」って。

 

しかし、僕は①のイキりは否定派なのですが、②のイキりはわりと肯定派なんですよね。

なんでかというと、②は本人の努力次第だからです。

①のイキりは、昔の自慢をしてしまっている時点で、今の自分にはそんなに価値がない、あるいはそこまでいかずとも、昔と今では昔のほうがすごかった、と、「現在の自分」の負けを認めてしまってるわけなんですね。

一方で②のイキりは、今現時点が最高!なわけです。

それをどれだけ貫けるかだと思うんですよ。イキり通せるか、というか。

先ほどのキリトさんのコピペに関しても、こういう発言をする大半の人間が発言と現実が乖離してる(と思われる)ので馬鹿にされますが、本気で「うっせばか!!!てめーらが何を言おうがキリトなんだよ!!!」って言いきれたら、ぶっちゃけ他人が何を言おうとマジでキリトなんですよね。自分が真のキリトであると思い込める自信があればキリトになれると思います。

途中で折れちゃうから馬鹿にされるんだと思うんですよね。

 

それが折れちゃうのはなんでなのか。

それは疑っているからです。自分がキリトじゃないって。

マジで「俺は絶対キリトやわ」って自信ある人が、いくら周囲に「お前キリトじゃねーよwww」と言われてもキリトのコスプレをし続けるでしょう。

しかしそれをする人がなぜか少数派なのです。

そこには、②のイキりが「自分にも嘘をついている」場合がほとんどだからなわけですよ。

俺キリトwwwwwwww(本当は全然モテないけどネットやしばれへんやろ…)とか。

ネットイキりはたいがいそのパターンが多いです。

だからそれを覆そうとネット民のおもちゃにされるわけですね。

 

だから逆に言えば、自信をもってイキリトすればいいわけです。

俺キリトwwwwwwww

ってマジで思っている人は最強だと思っているのでヤンキーに喧嘩ふっかけて負けるでしょうし、アスナコスプレイヤー口説こうとして振られるでしょう。

しかしそこに「俺は完全体キリトになり切れていない・・・どうすれば」という葛藤と努力が出てくれば、筋力鍛えるだろうし身なりや口調を気を付けようとかなるわけです。

そんなすぐに完全体キリトにはなれないでしょうが、最初はキリトの口調だけまねてたものに、じゃあ武器もちゃんとしたもん持ってみようか、重いな、もてるように鍛えなきゃ、あ、目はすこし輝いているからカラコンほしいな……と、長い年月の上で少しずつ完全体キリトに近づいていくわけです。

 

そこが半端なイキりだとどっかで挫折します。

飽きます。

 

自分向いてない…

やっぱガチのキリトとは違う…

 

本物とか、あるいはもっと似てる、近い人と、そうやって比較した上で自信をなくしてやめる。


まあキリトじゃなくても、絵とか小説とか、創作活動系とかね。


神絵師に到底及ばない…

自分の演奏、ゴミ…

youtube再生伸びない…自分はヒカキンじゃなかった…

 

そーやって、他と比べて自分はダメなのでイキれない………と、「自分はダメ」と、"客観的に"評価した気になってしまいます。


 

しかし客観的評価って世の中にそうそうなくて、すべては相対的評価ばっかりなんですよ。

 

 

例えば僕もツイッターでよくイキります。

 

「俺ブログの1日のPV100!!」

 

これは大した数字ではありません。しかしそれをどう見るか、です。

例えばブログ始めたばかりの人からすると、一日1~5アクセスとかしかないわけで、このイキりがマジで「すげー!」と映るわけです。

するとそういう人が自分のフォロワー(ツイッター的な意味ではなく、応援してくれる人の意)になってくれるわけです。

そうすると「おっ、俺すげーやつなんや」とマジで自信になってくるわけです。

僕も「俺文章うまい自信あるわ!!」といいつつブログを続けてきましたが、たかだか1日100PV突破するのに3年かかりましたからね。

その間、2~3か月空こうがなんしようが、ともかくちょっとでも続けてきたから

「あーこれがアクセス数いいんだ、じゃあこういうの書こう」

「あーこれはダメなんだ、やめとこ」

というのがだんだんわかってきて、洗礼されてきたからこそ伸びるわけです。

 

これを頭っから、「いや、やしろあずきとか1000万PVとかあるやん。。。自分ザコすぎ…やめよ……」ってなったら終わりなわけです、そこで。

僕がこのままイキり続けてブログ続けてたらどんどん増えて1万PV,10万PVと伸びていく可能性は十分あるわけです。そもそも僕も1~2アクセスしかないところからきたわけだから今100倍成長してるわけだし。

 

 

だもんで、イキってる人馬鹿にしてる暇があったら、みなさんもイキりましょう。自信たっぷりにイキりましょう。

 

マジでイキりを馬鹿にしている人、イキってた人の2~3年後もちゃんと見返してみてくださいね。

挫折してる人ももちろんいますが、あなたの思っているよりも、成功してる人まあまあいますからね。

 

 

今日はこんなもんで。

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当ブログ、一週間で1000PV。Google検索上位に引っ掛かる方法とは

f:id:wahoo910:20190106222235p:plain

はい。

今週のブログのアクセス数です。

 

今週のアクセス数、986!!!

 

やったぜ。

 

原因は明確です。

アクセス数の85%はグーグル、そしてさらにその92%は…

 

845.hatenablog.com

 

この記事です。

986に0.85*0.92をかけて、770くらいはこれで稼いでますね。

 

なんでこんなにアクセス増えたのか?

不思議です。

僕ははてなブログ文化である「スター」の送りあいとか、読者登録しまくったりとか、そういうのを全くしてなかったので、そういうのをこつこつ積み上げてきたわけでもないです。

最近知ったんですが、はてなブログって読者登録されまくったり、スター送られまくったり送り返してもらってそれでアクセス数増やすんですね…

読者登録4とかですよ、このブログ笑

この記事はスターは2つ

完全にはてなブログ文化に逆らっててウケますね。

ようは、「単純にブログに興味があって見に来た」というアクセス(ようは相互の読者登録とかスターの送りあいなどの身内でのアクセス数稼ぎではないアクセス)で1000ですからね。

それまで一日30アクセスいくかいかないかだったんですが…

 

その要因はこれ。

f:id:wahoo910:20190106222729p:plain

 

これグーグルの検索結果です。

「敗北者」で検索したら1ページ目に出てきます。

 

グーグルで一ページ目に出てくる!とか、検索の上のほうに出てくるのは皆が望むものなんでしょうけど、困った話、

「なぜ一ページ目で出てくるか?」

がさっぱりわからない……

 

要因としては

 

①今「敗北者」で検索する人は、このワンピースのネタを検索する人ばっかなので、そのテーマにあっている

②タイトルがわかりやすいのでみんな見に来やすい

 

とかかな……?

とは思うんですが。

 

f:id:wahoo910:20190107210318j:plain

(引用:https://seolaboratory.jp/25051/#p02a)

 

特に①が大きいことは、GoogleSEO対策を教えるホームページとかでもかかれてますね。

メインキーワードをいれ、かつそのキーワードを検索する人が求めているものをかくこと。

今「敗北者」で検索するとエースの話ばかり。つまり敗北者で検索をかける人は、エースのネタに関して知りたいわけです。

そんななかで「なぜこれがネタになったか?」って記事があったら目を引くからなんじゃないのかなと思います。

 

まあ、実際これがあってるかはさっぱりわかっていません。

ブログに詳しい人、教えてくれませんかね……

 

んで、スターもください。こっちも投げますので。

読者登録もお願いします。

僕もお返ししますので。

 

少なくともGoogleさんが保証してくれるぐらいのおもろい記事は書いちょる自信がありますんでね。

 

イマイチグーグルの検索で上に出てくる割には、とくにこれといって評価されることはない悲しさ…

 

まあぼちぼちがんばりますか。

 

 

 

 

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(2019/1/7 21:07)追記しました。

コラム:ADHDの、感情玉突き事故

ばしこ市の感情道路にて玉突き事故が頻繁に発生します。

 

目次

①感情玉突き事故

実体験、書きます。

②なんとなく社会がきつい人へ

ADHDかも?というわけでなくても、まあきつい人は読んでね

なんとなーくこれが解決策なのかなって思ったもんを書きます

③実体験を教えてくれ

似たようなひとの実体験、ください

 

 

 

①感情玉突き事故

玉突き事故というより、ビリヤードに近いんじゃなかろうか。

まあそこはどうでもよい。

「玉突き」でありかつ「事故っている」というニュアンスが伝わればそれでいい。

 

僕にとって感情はコロッコロ、コロッコロと変わるもんである。

特に目の前にズドンと大きなものが現れたらしばらくはそれに影響されるが、また目の前に別の感情が現れたらそれにコロッと転がっていく。

ものすごい目の前のものにのめり込むタイプで、だから目の前にあるものの感情を理解することはできるが、昨日あったひとの感情を今理解することはできない。その場で理解できていても。

それは玉突き事故なのだ。

例えば今、僕がAとBという人物の仲裁をしているとしよう。んで、Aがめちゃくちゃ怒っているとしよう。それで「Bにこういってこい!!」と言われ、そのときは「Aに賛同しよう」と思っていても、いざBを目の前にしてBの感情を真に受けると、Aと話しているときに受けた感情は、スコーーーンと飛んでいって、Bの感情が頭に残ってしまうのである。

それが極端なのだ。

 

困る例をあげよう。

僕がミスをし、上司Cに怒られるとしよう。そうして「客にはこういう話をしてこい!!」といわれ、納得する。

そうして客Dのところで、上司Cから受けた指示通りに話す。

しかし客は怒り、客Dの理論を話す。

 

ここで冷静に「上司Cと客D、どっちの理論が正しいか、どちらに整合性がある?」を判断できればいいのだが、それはできない。

「より目の前、かつ感情が強いほう」に押されてしまうだけなのだ。

だから客Dがある程度まちがっていようが、目の前で怒鳴られまくったら上司Cの怒りや論理はどっかに飛んでいって、客Dに言い返せなくなってしまう。

 

そうやって、目の前の感情にスコーーーーンと吹っ飛ばされまくった結果、もちろんそこには論理破綻を起こしたわけのわからんやろうが残るだけで、CからもDからもボコボコにされて終わる。

 

これにいまのところの解決策はない。

「自分を強く持て」だのなんだの、そんなクソの役にもたたん精神論はアドバイスされるが、それがそもそもできないのだ。

 

②なんとなく社会がきつい人へ

ぼくはADHDなわけだけど、その詳細はわかっていない。

だもんで、これはADHDではないかもしれないのだけど、共感できる人がいれば役に立つかなと思い、書いた。

いまの世の中、ADHDという言葉がまあまあ広がったように思う。

だからえもいわれぬ苦しみを抱えている人間は「あっ、ADHDだったんだぁ」とか、「あっ、同じ悩みを抱えていた人はこうしたんだぁ」とか、そういうことがわかって安堵を得る。

だが、個々の悩みは、ADHDの代表的な症例を知って、解決!終わり!とはなかなかならない。

色んなものがごっちゃになっていることが大半なので。

 

だもんで解決の方策としては、似たような悩みを持っているひとの、体験談を聞くということだと思うのよね。

なんか即物的に脳内の成分があーだこーだ、も大事だけど、それは過程であって、最終的には「おんなじような悩みを抱えていて、おんなじような苦しみがあったが、どう乗り越えたのか」が知れれば、その病名がわかろうがわかるまいが、どーだってよいんです。

借金玉氏が流行ってるのもそれかなと思います。

というわけでいま、感情玉突き事故っちゅう、自分のなかでモヤモヤっとしたもんを、とりあえず書いた。

 

③実体験を教えてくれ

これに「わ、わかる~!」となった人は、コメントでもいいしTwitterのDMでもいいし(ばしこ (@wahoo910) | Twitter)、実体験を教えてほしい。

もちろん解決策が分かればそれにこしたことはないが、それは二の次でいい。

「おんなじ悩みがある!」それを共有するだけで、するとしないでは大分違うと思うのだ。

色んな似通った実体験を集めることで、そこにある共通点から解決の糸口が見つかったり、安堵が得られたり、そういうことがあると思うのだ。

だもんでできればコメントでほしいもんだけども。

ここ匿名じゃないもんね。

だから捨て垢でDM送るとかでもいいので。

それを共有できたらいいなと思う。

そういう、掲示板とか、作ったら需要あるかなあとか考えたりしている。

お互いがただ悩みをぶちまけるだけ。もちろん解決策も思い付く人は書いていいが、悩み書いて「わかる~」がメインの掲示板。

そんなんあるといいと思うんだよな。

ちょっと考えてみよ。

 

おわり。

 

ここでかけなくても、似たような感情あるひとは読者登録してくれたらすぐ読者登録のお返しにいくのでよろしく。スターも投げるよ。

 

(おまけ)

借金玉のおすすめ本貼っときます

発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術 Amazon CAPTCHA

 

コラム:社会に馴染めぬにわとり、野菜星人に囲まれる

型というものはめちゃくちゃ辛いものであります。

社会の型というもの。

大概社会の型というやつは、僕が一枚の、大きな肉だとしたら、まあ30cmくらい?だとしたら、社会の型は10cmくらいしかないわけで、はみでた肉はゴリゴリ削られていくばかりな訳です。

 

もちろんこの自分という肉をしっかりと守る方法はあるんだろうし、こういう自分に近い人たちほど、自分の肉を守る方法を知っている。

けどもそんなことは知ったこっちゃなくて、自分は守る方法がよくわかってなく、自分の肉をゴリゴリ削って型の外に捨てるしかわからない。

 

だから安易に「型を広げますよ!受け入れますよ!」とか言われるとキレそうになる(この前のダイバーシティのブログとかね)

 

おかしな話で、普通料理するときは30cmの肉があったらそれにあった料理をするわけで。ぱさぱさの鶏むね肉は味付け濃いめで、しっかり油ののった柔らかいもも肉は唐揚げで。そういう使い分けをするのに、たいがいの社会は、むね肉だろうがもも肉だろうが唐揚げにしたがる。

一様に唐揚げにしておいて、「お前パサパサじゃん!!美味しくねーわ!」って言われても、「はあ、そりゃむね肉つかったらそうなるだろ・・・」という感じなんですよね。

 

それをやたら「努力」で解決したがる。

疲れるんだよねそういう社会に。

 

合った調理法をしろ。

それは自分自身にたいしても言えることだと思う。

自分自身は一枚の肉片で、それを努力でどうやったって牛肉にはならんし、豚肉にもならない

自分自身でそうしている人、けっこう多いと思う。

明かに牛肉な人が「俺は豚肉!!!!!!豚バラになるぞ!!!!!焼き鳥豚バラ串になる!!!!!!」とかいっている人がいて、「いやいや、豚バラ串にはなれんやろ・・・牛サガリ串にはなれると思うけど・・・・・・」とかいっても「俺は豚バラ!!!!!!!!!!!!!!!!」といっている人がいる。

 

自己分析は大事で、まあ今の例でいうと、焼き鳥の串になることを諦めろといっているわけじゃなくて、牛サガリ串が一番理想に近い現実的な形だよね、という話なのである。

 

ちなみに僕は鶏肉なのに「野菜になれ!!!!!」と言われている気がして、「いやさすがに無理っすね」という気持ちになっている。

野菜は無理。鶏むね肉サラダとして添え物にはなるけど野菜自体にはなれない。

どうやったらこれを理解してもらえるのだろうか。

 

僕は野菜星人に囲まれていて、その中の一匹のにわとりなわけだけど、どうも野菜星人からは僕が浮いている存在だとはわかってはいるんだけど、そもそも「肉」「にわとり」という概念そのものを知らないから、そうできると思っているのかもしれない。

「野菜なんだから、ちゃんとサラダになりなさい」と言われるとなんとかできるのだけど。そうそう。なまじできちゃうから「おっ!!!!できるやん!!!!!お前やっぱ野菜やな!!!!!!!お前もしかしてトマトじゃね????????」とか言われたりする。

 

いやいや、そんなわけないやん。

赤いのはとさかと血ぐらいなもんですよ。

コケコッコーッて鳴くトマトがおるんかい。

おるわけないやろ。

「いやー変わったトマトだねー」じゃないよ。

別の概念というものを疑いなさいよ。

そういう別の概念を疑うという発想が、たぶん僕らと同世代でギリギリあるというくらいで、それ以外のジジババにはほとんどない。

 

僕は野菜星人に囲われて、どうなるのかねえ。

野菜になって、そのうちとさかから種子を飛ばしたりしだすんだろうか。

そのうち実がなってあらたなにわとりが生まれたりするんだろうか。

 

まあ、にわとりのお仲間を、ちゃんと探しましょうかねえ。

 

おわり。

男しかいない日本企業~ダイバーシティとか6万年早いわ~

しばらく、はてな匿名ダイアリーとかで書いてたんですが、もー本当に最近怒り心頭なので書かせていただきます……………

 

職場の40~60代があまりにもホモソーシャルすぎるという話。

 

今までそれをもうしゃーねーんかなと思ってたんですが、文學界12月号の犬山紙子さんの文章読んで「だよなぁ!!?だよなぁ!?そうだよなぁ!!!?!!?」とめちゃくちゃ共感したし今までため込んでいた怒りが爆発しました。

 

自分の会社、まあ詳しくは伏せますが、まあまあの企業なので「ダイバーシティ、多様性を認め、働きやすさをうながしていきましょう」とうたっております。

まぁ立派でございますね~~~~

 

けど無理です。

うん。

いや、無理です。

や、100%無理です。

いやいや、なんとかなるかもとかこれから、とかじゃなくて、無理です。

たぶんするとしても30年くらいかかります、わっはっは。

 

なんでか解説していきましょう。

以下目次です。

 

①改めてホモソーシャルとは

ホモソーシャルとはなんぞやってとこを解説していきましょう。犬山紙子さんのコラムに触れながら。

②会社の「方針」

今の自分がいる会社がどういうことをやっていこうとしているのか?職場ではみんなどうしようとしているのか?どういうことが起こっているのか、書いていきます。

③会社の人々の「ノリ」

方針とは別の、そこに根付いた実際のノリ。いわば文化。雰囲気。そういうマジなところを比較していきます。

④そこにいる女性たち

そのノリについていける女性たちについて書いていきます。

⑤ここは異国の土地である

じゃあ誰が悪いのかという話でございます。僕らが動いたらどうかなるのかというところも含めて。

 

というわけで、5つにわけて話していきます。

 

 ①改めてホモソーシャルとは

辞書から引っ張ってきた言葉そのまんまだと、「恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する」というところですが、どうも「ホモ」が「男同士」という意味合いが強い日本ではそこから少し転じて「男同士の絆、ノリ、文化」というところを指すことが多いです。

 んで、犬山紙子さんが文學界12月号で書かれていたコラムが「ホモソでセックスするな」というやつです。

犬山紙子さんがホモソ(ホモソーシャルの略)にうんざりしているって話です。

(以下引用)

何人と誰とセックスしたかは、友人同士で競うためにある。

(中略)

別に男同士で仲いいのは結構、でも女を道具と思うな、人間として付き合え。ホモソでセックスするな、性欲でしろ。と、当たり前のことを思うのだ。

これを読んだ瞬間とても「わ、わかる~!!!!」ととても思いました。

ようはホモソーシャルなところって、「今年○人とヤったwwww」「お前彼女とヤってんの?」「何回ヤってんの?」「風俗いったことあるの?」とかそういう話である。

ぶっちゃけこれ系、ほんとに苦手なんですよ。基本的に風俗には行かないし、ヤッたヤッてないとかそういう話はよっぽどの身内としか話したくないし。

けどホモソーシャルな場所ではそういう話が飛び交う。

「一度は風俗いったほうがいいよ!」だとか、「あいつイイよね!!女として!」とか、そういう話題がやたらめったら飛び交う。

脳内海綿体かこいつら?

 

まあそういう文化です。

まあ身内も身内でやる分には楽しいかもしれないけれども。

 

②会社の「方針」

今いる会社では定期的にアンケートとったり研修があったりして、「ダイバーシティ」を根付かせようとしています

LGBTをはじめとして、いろんな人が働きやすい職場を作ろう、という流れです。

相談窓口を作ったり、とかね。

まあだもんで上は動いてるし、それが現場に研修やアンケートという形で落ちては来ている、という感じですね。

実際課長以上の上司もそのあたりは認識があり、ちゃんと声を上げたら動くんだろうけれども、それに関する実際の被害報告?というか、「実際にこういう声が別部署であがったのでこうしましょう!」とかそういうところまではまだ来ていない。

声が上がったら対応するだろうが、まだ声が上がってきていない。そんな感じ。

 

③会社の人々の「ノリ」

じゃあ実際どうなのか?

答えはホモソーシャル社会です。

全くもってダイバーシティもクソもありません。

まあ、人間性がしっかりされている方々がおおいので、たぶんこちらから声をあげたら対応はしてくれると思います。しかしあまりにもホモソーシャルが根付きすぎている。

以前の飲み会も「新入社員が彼女とどんくらいヤったか」とか「社員の中でどの女性が好きか」とか、そういう話題。女性いるいないはほとんど関係ありません。

あまりにも男中心の話題なんですよね。

「女の子~!女の子でーす!そういう話題、苦手でーーっす!!」って雰囲気をガッツリ出せる若い女の子がいたら、なるだけそういう話題を避けるんですが、そうでもない限り基本的にホモソーシャル。閉じすぎてる。オタク並みに話が閉じてる。ゴルフと酒と、セックスと、身内ネタ。その話についていけないと基本的になんの面白味もない。それがめちゃくちゃ根付いている。

「ばしこくん風俗いったことないの!?いやー一度はいったほうがいいよ!」

「あそこの風俗めちゃくちゃよくてね!」

「アイツ彼女とどんくらいやってんの?」

いや知らんわ。

そしてそれに対してどこか「俺らに馴染め」という空気、「なんで馴染まないの?」あるいは「なんで飲み会来ないの?」みたいな、ホモソーシャル特有の「飲み会文化」が根強い。

 

まあ、ほんとにすごい悩ましいのが、仕事が出来る人たちなので、たぶんめちゃくちゃ強く言ったら対応するんでしょうが、あんまりにも根付き過ぎてて言ったら過剰に気を遣うハメになるんだろうなという感覚。根本的な文化が違いすぎると言うか。しかも「直接的にこちらに害のあること」に関しては、こちらも言うことが出来ますが、「ちょっとどうかなと思う」「俺は楽しくない」となると「いや楽しめへんお前が悪い」となりがち。

それを言いづらい空気がある。

ホモソーシャルゆえに「男はこうあるべき」だとか。そういう風潮も強い。

若手だから、男だからもっと元気出さなきゃ!!!!酒も強くないの??ゴルフもやらないの???

いや、まあそれは一般的に若い男はそういう傾向が強いのでそれを求める理由はわかりますし、求めてもいいですが、それなら「こういう男性を求めており、一般的な男性像と離れる人間は必要としません」とすべきで、そこが矛盾してるんですよね。ダイバーシティと。

結局表面上だけかぁ、ダイバーシティ

まあ文化が違うしね。そうしかならんわけです。何度も言いますが、現場が「俺たちはこうだから、馴染めない人はバイバイ」と言う分にも、会社が言う分にも、それが方針ならどうぞって感じなんですよ。ただ、会社は「馴染めない人もどうぞ………みんなが働きやすく…………」といってるのに現場は全くそうはなってなくて、表面上のはたらきやすさがあるだけって話です。

 

「そんなら声をあげろや!言ったらわかるんだろ!!!」

 

って声が出てくるかもしれないので先にいっておきますが、ともかく現場のおっさんたちはそもそもホモソーシャル社会で生きてきているので、ダイバーシティというものがどういうものか、なんとなくわかっていても、どうすればいいかを全くわかってないし、むしろ声をあげるとなると「よほどの理由」がないとめちゃくちゃ言いづらいですよ。

僕が実は性同一性障害で、心は女性のためそういう話題は避けてほしい、とても苦しんでいる………というわけではない限りたぶん訴えても「そんなん我慢せぇwwww」としかならんと思います。

だから「(極端な例を盾に)言ったら、わかる(根本的な理解ではなく、避けるという形で)」というのが、正しいところですかね。

ここらの肌感覚の部分は後述の⑤のところで書きましょう。

 

たぶん、多様性を「受け入れる」ことは、ここまで文化が違ったらできません。

「避ける」「怖がる」「ルール化する」、この形でしか無理です。

 

だもんで研修でもね、やたらめったらLGBTを「社会的弱者」として取り上げるんですよ。

LGBTは鬱になっている可能性の人が多い!!!気を遣うべき!!」

LGBTの方々を配慮して、全ての人は性別を見た目で判断しては行けない!!!」

極端すぎる。

それは会社が多様性を受け入れきれないからです。

すべてのダイバーシティの問題は、すべての問題をわざわざ形にして、個々に対応策を逐一出すことじゃありませんし、それじゃ無理です。

 

「ただ受け入れる」

 

ダイバーシティとは、極論これだけでいいんですが、今の企業のホモソーシャル社会はどうも「俺らについてこい!お前らが合わせろ!」といってくるのが基本なので、圧倒的に相性が悪い。

今はそういう状況です。

それすらできない。

だもんで、声をあげるには、研修で出てきたような「極端な例」の人々が声を上げるしか方法がないんですよね。

だってそれ以外把握されてないわけですから、上の方々は。

 

④そこにいる女性たち

基本的にホモソーシャル社会である、ということを先程お話しましたが、だもんでそれについていける人しかほとんど残っていません。

お酒が強くて、飲み会頻繁にこれるし、下ネタオーケーだし。からかわれても素で平気。

そういうタイプしか残ってません。

そういう「ホモソーシャル社会」についていける人しか残らないので、そういう人はまあ上にあがっていく。けどそれ以外の人は?

ホモソーシャルについていける女性が残っているだけで、それで「うーん女性が多い!ダイバーシティ!w」とか言ってるわけです。

 

大爆笑ですね。

 

僕は男子校ノリが向かないので全く無理ですね。

だから女であるからといってこの文化に合わないわけではないが、逆に男であるからといってここに合うわけでもないんですよ。

 

⑤ここは異国の土地である

こんだけ根強いと、移住を考えるわけです。だって文化圏が合わないわけですから。

んで、決してそれは、会社の人々が悪い人々、というわけではないんですよ。

そこが重要なポイントです。

 

文化が、あまりにも違いすぎるんです。

 

アフリカの奥地にいって、現地住民と仲良くなって、いくら人がいいとわかっていても、20歳になったら歯をなん本か引き抜く文化に堪えられるか?狩りに行って牛を狩ってこなければ大人と認められない文化に堪えられるか?

そういう話なんですよ。

その文化そのものが悪いというわけではなくて、そこにいる人たちが悪いというわけではなくて、ただ合わないだけなんです。

だから今後、ここが重要なポイントです。

もちろんホモソーシャル社会はクソだとは思います。

しかし、まあこの状況を先ほどのアフリカの奥地の例で言うと、原住民に対して「自分は歯を引き抜きたくないが住民として認めてほしい」といったとします。しかし住民もここまで長きにわたりその文化を続けてきたため、それをいきなり変更することはできません。ここで僕が、「もし歯を引き抜こうとするなら警察を呼ぶぞ。この国には傷害罪という罪がある」と言うとします。

それで僕は、保護はされるでしょう。

しかしその村で生きていけますか?

無理ですね。

警察という盾に守られるからこそ生きていけるわけで、常に村人からは蔑んだ目で見られるものの、大きな力があるから手を出せない。

 

そういう状況になるだけなんですよね。

ある文化圏に、全く違う文化を持ち込むってそう言うことです。

それはダイバーシティか?というと全くもってそうではない。そう言う理由が、何となく伝わると思います。

 少なくとも、やるのであれば、この例で言う警察に、よほどがんばってもらわねばならない。

 

それはもうとても疲れる話です。

いつ村人に寝首かかれるかビクビクする羽目になります。

 

たぶん、僕が仮にまともに上にかけあったとしましょう。

しかし、もともとそういう文化圏で生きてきた人々しかいないわけです。いかんせん周囲がそういう話ばかりできる人しかいないわけです。

そうなると、ほかの方々が僕に取る対策としては

①僕が飲み会に来た時にのみ気を遣う

②僕をそもそも誘わない

その二つくらいしかないわけです。

そこに根本的な解決はない。

ただ僕という存在が新しい法律として追加されただけです。

 

それなら普通に文化圏が合う日本に帰ってくればいいだけの話です。

 

 

もちろんホモソーシャル社会な企業、というのは今後改善されていくべきですが、本当に根強さが半端なさ過ぎて、労力がヤバいですね。

それ変えるならもう上が定年でやめるの待ったほうがいいね、という感じです。

 

んで、上に守ってもらうには過剰反応しかやり方がない。

そんなん疲れますよ、本当に。

 

これがあきまへんよ~という話と、じゃあ自分が動くかという話は全く別問題です。

たぶんこういうあきれや疲れを感じている若い人、多いんじゃないかな…

 

なんか疲れたので、終わりです……

 

本当に、疲れますね……

 

 

文學界 2018年12月号

文學界 2018年12月号

 

 ↑引用させてもらった書籍です

 

 

言ってはいけないクソバイス

言ってはいけないクソバイス