※先に言っておくとちゃんと一冊きっちり読んだ上で批判してるので最後まで読んでいってね。
ちなみにライトノベルの批判でもないので。
谷川流。
涼宮ハルヒの憂鬱の作者として有名である。
作者よりも作品のほうが有名だが、まあそもそも涼宮ハルヒシリーズを完結させるのにも時間がかかったし、それ以降の作品もそんなに出していない。
しかし涼宮ハルヒシリーズが業界のみならずその時の中高生に与えたインパクトは大きく、そのタイトルを書いた作者、というだけで信頼感はでかい。
僕もその実績を信頼して、この「絶望系」を買った。
新潮文庫NEXで初めてこの存在を知り、買った。
一応元々電撃文庫でも出てたらしい。
んで、ためしに読んでみた。
すこしワクワクしながら、ページを開いた。
くっさ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
警戒全開。
明らかにクソつまらない典型的萌えラノベ臭しかしない。いや、萌えラノベが嫌いな訳じゃないが、このレーベル、この表紙で「萌えラノベ」を求めに来るわけないじゃん。
えっ、八百屋で何でゲーミングPC売ってんの??????って感じで、別にゲーム好きだけど野菜選んでるときに出されても………って感じで。
頑張って読もうとした。
結果僕は読まなくなった。
あんまりにも受け入れられなくて、ダメだった。腹一杯で居酒屋のコースの最後にいきなり大盛りとんこつラーメン出される感じですよ。違う、違うんですよ。とんこつラーメン好きだけど今じゃないでしょ。違うんですよ。
というわけで冒頭胃もたれを起こしてしまい、どうしても読み進めることは叶わなかった。
さて、しかしそこから4年経って、いい加減ちゃんと読んで批判するか、と思ってきっちり最後まで読んだ。
うーん……………………
とてもつまらなかった。つまらなかったが、つまらない、の一言でなるべく片付けたくない。
読んだ時間がもったいないのもあるが、谷川流はポンコツな訳ではない、なぜつまらなくなったのかを追求したい。
あとやっぱり断片的に面白いところがあったので、ちょっともやもやの残るつまらなさだったのだ。つまらないのはつまらないが、じゃあどこが具体的に悪かったのか。どうすればよかったのか。
それを追求したいのだ。
というわけでようやく目次に入る。
以下の観点から谷川流「絶望系」(新潮文庫nex)を批判しようと思う。
①入りが最悪~クソラノベ~
②半ばは普通~谷川流の実力~
③オチが最悪~ひぐらしの二の舞はやめろ~
④総評:「絶望」を軽々しく書くな
⑤新潮文庫nexはいったい何を考えている?
⑥おわりに:小説に大事なもの
以上6項目を順に追っていきたいと思う。
特に⑤が重要なので読んでいただきたい。
ネタバレもろに入るが、それは一切気にしない。今後この作品を読む人はいないと思うので。
①入りが最悪~クソラノベ~
ぶっちゃけこれは最後に批判する⑤の部分、新潮文庫がヘマやらかした部分が大きいが、表紙やレーベルの雰囲気と比較して、あまりにも「典型的萌えラノベ」のノリが頭っからキツすぎる。
まあここの詳細は⑤で書くにしても、突如「天使」「悪魔」「死神」「幽霊」がでてくるのだが、世界観があまりにも不安定すぎる。
結局しばしチラチラ重い言葉を使って現実に引っ張ってくるわりには「ちょwwwwwwwwおまwwwwンッフwwwwwwww」とかいうコメントが画面上を流れそうなほどくっさいラノベ調なノリも多い。
別にそういうラノベを批判しているわけではなく、それは「終始一貫そのノリなら楽しいし気にならない」のであって、重い雰囲気にそんなロリコンだのフッやれやれ系が出てきたりすると頭がショートを起こす。
つまり「ノリの上げ下げ」があんまりにも激しすぎるのだ。
ラノベの軽いきゅるりんなノリを貫くには、現実の一切合切はガン無視せねばならず、そのためには重い話なんざいれている余裕はない。
重い話に入るのであれば、丁寧にその道筋を作ってやらねばならない。
だが入りでこれだ。
簡単にいうと、「読者に「こういうノリで読んでねー」という意思表示ができていない」という状態である。
ラノベにラノベのノリがあるように、例えば僕の好きな円城塔のように「細かいことは気にしなくていいよ!イメージするのむずかしいよ!」というノリで書いてある文章、はたまた伊藤計劃のように「具体的なイメージ浮かぶように書いてるよ!」という文章もある。また「これミステリだよ!」「SFだよ!」「特に意味のない現実の話だよ!」と、いろんな、事前告知が必要なのである。なにせ読者の妄想力は無限大。大枠は決めてしまわねば、無限になにもかも読者は思い付いてしまう。たとえば、ただ夏の日に田舎のばあちゃん家でのんびりするだけのお話だったにしても、「これ現実ですよー」と導入部でちゃんと思わせておかないと「実はこのばあちゃん宇宙人なのでは!!?」と読者がいらん方向に疑ってしまう。冒頭の方で、「読者にどういう心構えで読んでほしいか」を、込めた上で小説を書く必要があると僕は考えている。
それが全くできていない。
だから僕は初っぱな読んで、これだーめだとおもって読むのをやめたのだ。
②半ばは普通~谷川流の実力~
それはさすがに嘘はつかんだろ。
と思いなんとかゲロ吐きながら読み進めた。
ま、それ以降は死神と天使と悪魔と、杵築と建御という男たち、ミワとカミナという姉妹、そのあたりの絡みがずっとかかれながら、どうやら幽霊は通常の幽霊で、死神はその幽霊の魂を狩りにきたということがわかり、幽霊がなぜ幽霊になったか?とりあえず成仏してもらおうという流れになる。
まあ最初を越えてしまえば、なんとか慣れてきて、キャラクター像のイメージもできるようになってくるし、話もいい感じに進めていく。
ここのあたりの展開のなめらかさはさすがというべきか。
ここのあたりで今のところ特に言うことはない。
まあ、それはラストまで読んでないときだけ言える話で。ラストが最悪な原因は、結果的にラストとこの中盤の噛み合わなさが原因と思われる。
③オチが最悪~ひぐらしの二の舞はやめろ~
僕は、好きだけど嫌いな作品、としていつもひぐらしのなく頃に、をあげる。
ストーリーやキャラは好きなのだが、オチが最悪なのである。
ひぐらしのなく頃に、は、ストーリー展開は最高で、ただそのオチがダメすぎた。雑すぎた。
それと似たような形である。
オチがなにもかも雑。
オチで「あーなんか言いたいんだな」ということはわかるが、という程度にしか思わんぐらいのよくわからない語りが入る。それはタイトルの「絶望」にも絡む話だが、そもそも中盤でそこのあたりの根拠になる部分の話がほとんど出てこない。
さっき名前を上げた「カミナ」が、最終的に悪魔を呼んだり、幽霊になる前の人間を殺した人物なのだが、それに向かうまでの「納得するストーリー筋」が全くといっていいほど書かれていない。申し訳程度の「こいつ残酷な人やで~」という他者からの目線しかかかれておらず、本人の描写が少なすぎて、オチのメインに持ってくるには何もかも足りない。
先ほどの項目で書いたように、あくまでも中盤のメインは「天使と悪魔と死神と幽霊」あたりなのである。あとはその異世界人と男二人の絡みに、チラチラと姉妹が出てきたりするくらいで。
その姉妹をもっと書かなきゃいかんのに、書かんでもいいわ!ってくらい天使とか悪魔とか死神を書いてた。
これはオチが悪いと捉えるか中盤が悪いと捉えるか難しいところだが、少なくとも中盤は文章やそれ単独で見たストーリー展開は好きだったが、ラスト周辺はオチも文章もめちゃくちゃビミョーだったので、結果的にオチが悪いと思う。
せっかく中盤よかったのにそれをオチでぼっかんと何もかも台無しにしてしまうのはマジでよくない。
一冊読みきってくれた読者を完全に裏切る行為だからだ。そんなら冒頭くそなだけのほうがまだいい。販売戦略としては頭と中盤がよけりゃいいかもしれんが、今後作家としての信頼をなくしていく。
事実、先ほど名前をあげたひぐらしも、ひぐらしが爆発的に売れたあと「うみねこのなく頃に」という作品を出してこれもまた売れたが、これもまたストーリー展開は面白いがオチが最悪で、二度も繰り返したせいで作家としての信頼は大分落ちて、以降の作品はほとんど話題にならなかった。
誰か竜騎士07にオチの書き方だけでも教えろ。
話が脱線したが、ともかく今までのストーリー展開でこのオチはない。
材料が一切足りていない。話の中盤というのは、オチに向かっていろんな説得力を積み上げていく段階なのに、積み上がったのはただの「死神というキャラクター」「天使というキャラクター」そのあたりの話であって、もちろん謎解きはある程度していたが、明らかに足りない。
ビックリするぞ。
カミナさんの描写ほとんどなかったのに、幽霊さんが殺された状況をみていきなり
「殺したのはカミナだな」「ああ、間違いない……」「話を聞いた瞬間わかった、ああいうことをするのはカミナしかいない……」
とか登場人物が言い出して「??????????????」
とパニック状態に読者がなっているのをガン無視でカミナが犯人!と当たり前のように話が進んでいくのだ。
なに登場人物だけで納得しとんねん。これは小説やぞ。読者が納得する書き方をせんかい。
④総評:「絶望」を軽々しく書くな
一応タイトルが「絶望系」なのもあって、ラストの方ではカミナの殺人とか悪魔呼んだりしたことの動機が、絶望に絡む話にしてある。
ここで僕はめちゃくちゃ怒ったのである。
絶望、を軽々しく書きすぎだ。
絶望は、人によって、その人の状況によって、感情によって、生きてきた人生によって、いくらでも形を変えうる。
もちろんわかりやすい形で言えば生命が危うい状況が絶望だろうし、しかし人によれば大学受験に落ちたことが絶望になりうるし、大学退学もそう、はたまた好きな歌手のライヴに落ちたとかもそう。
以前見たはてなブログで、親がやたら教育マンで中学受験からさせられて、そこから1日10時間ほど勉強し続ける人生が当たり前のように続き、それでも東大に受からなかった話があって、それのほうがよっぽど絶望を感じた。
なぜか?それはしっかり積み上げをしているからである。
努力の過程、そして「自身の人生に占める割合」がどのくらいか、つまりは「それに失敗したらどれだけの絶望があるか?」がしっかりと伝わる文章となっていた(まあそのブログはあくまでも「東大の難しさ」を語るブログで、「絶望」を教えるブログではなかった)。
そんなブログに負けるくらい、絶望に関する根拠が弱すぎるし、とりあえずグロ出しといて「はい絶望~~~」ってしてるのがあんまりにも絶望を軽々しく書きすぎている。
あきらか中学生向けの文章である。
このラストにしたかったのなら、天使だの悪魔だのはほとんどほっといて、カミナと杵築を中心に「絶望とはなにか」を深掘りしていくように書かねばならなかった。
あんまりにも絶望が浅かった、と思う。
⑤新潮文庫nexはいったい何を考えている?
正直なぜ「作品」の批判ではなく、「出版社」「レーベル」の批判なのか?と思われるだろう。
しかし、自分としては正直以前の「アスキーメディアワークス文庫」のバージョンであればまだマシだったように思う。
表紙もこんなだし、この挿し絵で頭っから「こんなキャラ出てきますよ~」というイメージに関する補足がある上に、ラノベ感あふれるイラストなので、冒頭の「ラノベ臭さ」みたいなものは特に気にならない。読む前からそういうノリであることがある程度予見できるからだ。
だがしかしあくまでも「キャラ文芸」「ライト文芸」として名乗りを上げた新潮文庫nexが、表紙をカッコつけて再度販売するというのは、何もかも間違っているし、作品の良さを何もかも潰しているやり方で、本当に何を考えているのかさっぱりわからない。
実際この小説はあんまりにも根拠が足りない。
つまり、イラストなど、他の要素で補足しなければならないのだ。
だから正直エロゲーのシナリオ向きだなとは思った。音楽やイラスト、背景で雰囲気を伝えることで幾分かはマシになるだろう。
しかし新潮文庫nexはあろうことか、ただでさえ足りていなかったイメージを更に削り、あまつさえ表紙も変え、全くお門違いのレーベルで発刊したのである。
「新潮文庫nexはいったい何がしたいのか?」
「ネームバリューのみで売ろうとしたのか?」
と思われても仕方のないくらい、非常に手抜きの仕事である。
まあおそらく後者であろう。
おおかた新レーベルができたばかりで、キラータイトルがいくつか欲しいから持ってきたのだろう。しかしそれは最終的に新レーベルのイメージを初っぱなから落とすことになり、トータルでは明らかに損だと思うのだが。
⑥終わりに:小説に大事なもの
さて、ここまで評論を書いてきたが、やはりどうしても一番大きいのが、「ライトノベルが悪い」のではなくて、「ライトノベルですよーという告知、が表紙からもレーベルからもなにもかもできていないことが悪い」というところである。
だから繰り返し言うが、新潮文庫nexは本当に最悪の仕事をしたと思う、ホントに何を考えている?
小説で大事なものは「入り」である。それが良くなきゃそもそも読み進めることすらできない。
だから表紙や帯、話の冒頭は本当に重要になるのである。
そこは大々大前提である。
そこが悪くてオチだけよくても、そこまで読んでくれない。
出版社、作者、その両者がうまく入りを作れなかった結果、再刊してさらに酷い出来になるという最悪の事態となった。
新潮文庫nexがなぜ復刊させたか?
まあネームバリューのある本が一冊ほしかっただけでしょう。
そうとしか言えない。
作品自体の悪さだけじゃなくて、「作品を理解しようとせず」「作品の良さを削るような形で発刊した」というこの二点が、新潮文庫nexの罪である。そんな中で「いやこの作品はいい作品なので伸ばしたくて………」とか言われても「ほーーーん??良さをわからん俺よりも作品の理解甘いあんたがいうんや????」としか思わない。
これを復刊したい!!!って愛があるならしっかり良さを生かしてほしいし、そうでないなら売るな。
久々に怒りに満ちた小説だった。
ツイッターやってますんでこっちでもいろいろつぶやきますよ