あれ、声が、遅れて、聞こえて、くるよ。
僕の場合は言葉が遅れてやってくる。
感情が常に先。
なんというか、なにか衝撃的なもの、小説や映画や、人の話、を受け取ったとき、びりっときて、ごうごうと夢やら言葉やら感情やら映像やら、色んなものがごった煮になりながら猛烈な嵐を引き起こしているのだ。
しばらくそれは落ち着かなくて、そこから言葉を出そうもんなら、荒波に揉まれながらなんとか浮き輪をつかむような、そんなかんじの言葉選びしかできないので、「あの、あの、なんか、よかった」とかしか言えなくなってしまうのである。
だもんで言葉が猛烈に遅れてやってくる。
しかし難しいもので、遅れてやってくるといっても、遅すぎてもダメなのである。
言葉を出すのに適切なタイミングってもんがあって、それを逃すと急速に風ひとつたたない穏やかな海になってしまう。
荒波を求めたサーファーが、「いやいや波強すぎ」と待っていたら、結局その波すら一切たたなくなってしまった、そんな感じの悲しみが最後に残る。
まあでも、文章を書くのはそれとは違う。
サーファーは波がないとそもそもサーフィング自体どうやったって出来ないが、文章を書くことに関しては、スマホか紙とペンがあればなんとかなる。
サーファーは別に波が来るのを待つのは構わないが、僕らは、なんだ、「書くのに最適なペンが、見つかるのを待っているんだ………」「執筆に最適なスマホが発売されるのを待っているんだ……」とでも言えばいいか?そんなのそれだけで話が一本書けてしまう。
たぶん執筆に最適なペンを探す旅に出掛けて、ペンを作ってるお堅い職人に会って「てめぇに作るペンはねぇ、帰ってくんな」と言う職人の心をなんとか開かすためになんか小説を書いて、「ふん、荒削りだが、なかなかじゃねぇか。いいだろう。ペンを作ってやるよ」と言わせて伝説のペンを作ってもらうのだ。
話がそれたが、そんな伝説のペンができるまで待っててもしゃーない。
そんなことをしていたら日記ひとつ書くのに人生ひとつ使い潰してしまう。
というわけで、さっさと吐き出してしまったほうがよい。
もちろん僕は感情の荒波が唸りまくっているときはなるだけ書かないが、ちょっとでも落ち着いたなと思った瞬間に「いまだっ」とすぐに書くようにしている。
それがなければ、延々に書き進めないまま頭の中に永久保存されてしまうので。
そうして、まあ、文章を書くことに関しては、感情のコントロールがまだできてるかなと思うわけだが、実生活ではめちゃくちゃ大変である。
基本的に大体の人が、たぶんそんなに脳内大氾濫が起こらないのだ。
だから思ったものそのまま出したところで困りはしないので、僕らが「ヘンなやつ」として写ってしまうわけである。
ハッキリいってそれは感性の違いなので、どうやったってお互い理解し会えないと思う。
一番思うのが、「空気の読み方」である。
「空気の読み方がうまいな~」と思う人は、センサーの入り切りがうまい人と、ただセンサーは鈍いが一般的な価値観というものを理解しているだけの人がいる。
僕らはよく「空気が読めない」と言われる。
しかしそれは「鈍感」なのではない。
あらゆる情報が入りすぎて整理できないのだ。
目の前にいる人の悲しみだとか怒りとか人生の疲れ具合とかなんとか、そんなものがいっしょくたにグオッとくるものだから、それに瞬時に対応しろったって、僕は聖徳太子ではないので10個の感情が「めちゃくちゃきついです」「楽しいです」「今日は早く帰りたいです」「めちゃくちゃテンションあげたいです」とかなんとか一気に言われて整理できるわけがない。
だから目の前の人に対する最適な対応、を考えるうちにあわあわなってなにもできなくなる。
言語によるコミュニケーション、めちゃくちゃむずかしい。
よくいる「人見知り」は、たぶん僕みたく、「センサーがききすぎる」タイプの人は多い気がする。そういう人はわりと人間の色んなところをしっかり受信しているので、創作活動するといいよ、うむ。
最終的に結論をいうと、「創作活動いいよ」というお話がしたかったのに、なぜか色々脱線してしまった。
創作活動は蛇口の形が違うので。
感情をとどめてる蛇口ね。
結局、会話や仕事でアワアワなるタイプの人々は、蛇口が、あってないのである。
だからドバッとでたりチョロッとしか出なかったり、でめちゃくちゃ苦戦するのである。
僕にとって、文章は蛇口の形とサイズがちょうどいい。
アワアワと氾濫しまくっている感情の中から、きゅるりと必要なところだけ引き出してくれる。
文章読み返すとたまに「出しすぎやろ笑」と思うことも多々あるが、少なくとも通常会話したり仕事の中で表現するよりは、いくぶんマシに出てくるのである。
あれ、文章が、すこしだけ、遅れて、聞こえるよ。
感情に対して文章がしっかりと追い付いてきてくれるのはいつになるのやら。
できれば言葉も、発言も、しっかりついてきてほしいんだけれども。