言葉は水物、すぐに死ぬ

意識のうちに消失しないうちにさっさと文章にしましょう

好きな作家が、死ぬということ~映画「ごっこ」について~

・初めに

僕は今日、小路啓之という漫画家について話を書く。

僕が応援していたが、事故で突如亡くなった作家さんだ。

そのすべてをここに記す。

小路啓之ファンにはもちろん読んでほしいが、知らない人でも、好きな作家・漫画家・アーティストがいる人、特にまだマイナーな作家を応援している人は必ず読んでほしい。

 

こういうことは、頭でいくら理解していようが、当事者にならにゃわからない。

自分が作家を応援して、その作家がだんだんうまくなって、有名になって、それで次をワクワクしているところに、突如それが一切合切消え失せる恐怖。悲しみ。

そういう当事者の、悲痛な叫びを聞いてほしい。

 

小路啓之が死んだ

小路啓之

僕の好きな漫画家だった。

おととしぐらいか。

それは突如訪れた。

ぼんやりとネット記事を眺めていたら、こんな記事が流れてきた。

www.huffingtonpost.jp

実際に見た記事はこれじゃなかったので、タイトルには「リカベント自転車による事故で漫画家が死亡」とか書いてあって、リカベント自転車、という特殊性をメインに記事が書かれていた。リカベント自転車は仰向けに寝るような体勢でこぐ自転車なので、横の力に弱い?とかなんとかで、それでリカベント自転車で乗っていたが突如転倒し亡くなられた、ということが書かれていて、「ほーん」というくらいに読んでいた。

するとそこに。

 

「漫画家 小路啓之

 

と書いてあった。

 

あっ。

 

そうかあ。

 

それが最初にでた感想だった。

 当時こんなツイートを自分でもしていたが、こんなことは実際にはみじんも思っていなかったのは鮮明に覚えている。

ショック!頭真っ白!

とかそんな既存の形容できる状態ではない。

 

すとん。

 

そういう音。

何かがするりと抜け落ちて。

ただそれがあまりにもきれいで。

違和感をはっきりと感じることができなかった。

なにかそこから抜け落ちたはずだけど、何が落ちたかわからない。

そういう感情だった。

 

小路啓之氏との出会い

出会いといっても知り合ったわけでも何でもない。

ただ、僕がその作品と出会った時の話。

それは全くの偶然だった。

僕はジャンプ改を買った。調べたら2011年くらいの話だったっぽい。

そんときにシャーマンキングの読み切りが乗るとの話で、当時表紙もマンキンになっていたので、聞いたこともない雑誌をさくっと買った。

そしてマンキンを読み、それ以外の漫画にも目を通すが、どこがおもしろいかよーわからんのばっかりで、とても目につかない。

もちろん、何作かは読めるものはあったが、そのくらい。

 

私の中で、媒体にはそれぞれの向き不向きがあると思っていて。

漫画は特に、感覚的に読みやすく(内容のむずかしさとかではなく)、頭に入りやすいことが大事だと思っている。

文字をぐだぐだ書くのはもってのほかで、そのコマで言いたいこと伝えたいことを一枚の絵に抽象的におさめ、文字をさして読まなくても、その雰囲気が、流れが、じわりと伝わるような漫画がよい漫画だと思っている。

 

そのなかで、小路啓之「犯罪王ポポネポ」がそうだった。

そして漫画のわりにリズムのよい語感を多くつかい、文章だけでも良いコマにもその内容が伝わる一コマを書き。

言葉は入りやすい。

絵も入りやすい。

それでいて、読み込むととても漫画とは思えないほど文学的で。

 

高尚さはないのに、奥が深くて。

読みやすくて。

それがとても好きだった。

次号からは、シャーマンキングとポポネポしか読まなかった。

 

そうして、そこからはまった僕は、小路啓之先生の漫画を。ほかの作品も読み始めたのだ。

 

・漫画としての評価。先生との交流

そのあとに、たしかまず「かげふみさん」を読んだのだ。

雰囲気はおんなじだが、まだまだ下手だった。

どう下手かというと、語感はいいが文章が下手で、話の内容が伝わりずらいし、主語が抜けたり述語が抜けたり、そして漫画として描いてほしい顔、描写も抜けたり。

イマイチもう少し、という感が抜けなかった。

 

しかし、この後に読んだ「来世であいましょう」と「ごっこ」は、傑作中の傑作だったのだ。

小路啓之特有の、生々しいリアルを書きながらどこか抽象的な絵で茶化しつつ、大事な部分は現実をまざまざと見せつけさせるエグさ。絵のほっぷさと非現実感のせいでするりと心の奥に入ってはくるが、そのあとに心の内からごりごりとえぐってくる。

そういう、刺さるものがあった。

ズバーン!という衝撃だとかそういうもんでなく、一回読んでからじわりじわりとしみてきて、永遠に心の隅に残滓が残ったままになるような、そういうしつこさがあった。

 

なのにいっこうに大きく取り上げられない。なかなか注目されない。

ネットを探していても、取り上げているブログも少ない。

この漫画がすごい!にもでてこない。

それがとても悔しくて、なんとか広めてやる~~うお~~~という勢いで私は何度かツイッターに人に勧め、大学でも人にすすめ、

ブログも書いた。

(先生もRTしてくれた)

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 (先生、わりとリプライもくれた)

 

 

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そんなこんなで、とてもうれしい日々だった。

この漫画家を応援したい。

ごっこ、来世で会いましょうの後に、メタラブという漫画を連載していて。

それも面白かった。

恋愛もので、恋愛とはなにか?という部分の核心にせまるものだった。

特に大学生に読んでほしい恋愛漫画

だがこれも、どーも注目されない。

だが今後絶対に注目される日がくるはず。

漫画家として、どんどん伸びてくる日がくるはず。

もっと知られていく日がくるはず。

 

だからそう思って、布教活動を続けてきた。

 

そうして新しい連載「雑草家族」と「10歳かあさん」が出てきて、この人の得意なジャンルが、家族や恋愛ものであることがだんだんと確立してきている感、そしてそれが売れると出版社もわかってきている感が出てきていて、この作品がどう注目されるかと待ちわびているところだった。

 

・作家の死亡、そのあと、僕がしたこと

あとは言うことはない。

冒頭かいたように、突如、作者の死が訪れたのであった。

 僕はそう言い、何かを残そうと考えた。

先生の漫画をまだまだ広げていきたい。だからこのタイミング、リカベント自転車という記事で、小路啓之が少しでも話題になっている今、漫画のことを伝えていくべきである。

 

そしてこの後、そう考えた僕がどういう行動に出ていくか、お分かりだろう。

 

 

 

 

何もしなかったのである。

 

 

 

こともあろうに、僕は何もしなかったのである。

もちろん、作家先生がしんで、もう残すものがなくなり、それを伝える人々も我々しかいないことは重々承知していた。

だが、何かがすとんと落ちたような気持ちになった僕は、ただ悲しみに明け暮れて、自分の中からそのまま小路啓之先生は消えて、そのままでしかなかったのである。

 

それはエネルギーになるわけでもなんでもなかった。

 

だって、僕は先生と交流が取れるのがうれしかった。

まだまだ次の作品が見れるのがうれしかった。

私は、今の作品をリフレインしたかったのもある。

しかし、次が見たかったのだ。

あの人はもっともっと、いい作品が、もっと注目される作品が、書ける先生だった。

だから、次が、新作が、見たかったのである。

 

そんな状況で、昔をリフレインして一体何になるのか。

それで小路啓之先生の新作が天から降ってくるのか??

焼き直しが出てくるのか?

先生と一生涯一緒に過ごして、作風も作画も完ぺきにまねできる漫画家が現れて続きを書いてくれるのか???

もちろんそんなことはない。

 

この人が書く次の作品はもう見れない。

僕が「もっと面白いものが書けるはず!」という期待以上の作品が出てきて。

それがワイワイと色んなところで取りあげられて。

その流れで昔の作品も取り上げられて。

この作家さんを応援する人がもっと増えて。

そうして次の新たな、もっともっと面白い作品を先生が書いて。

 

そんな未来は露と消え失せた。

 

そうして、僕はエネルギーを抜かれた。

楽しみを抜かれた。

 

先生の死と同時に、新たな漫画作家を追うことも特にしなくなり、

ただただ、思い出したように、持っている漫画で続きを買っていない分を買うような、そんなぐらいの漫画の読み方になっていった。

 

書いていたブログもやめた。

 

ブログはサイトが古くなり、更新しなくなったせいでリンクも切れた。

先生からRTもらえた記事も、ネットの海に消え失せた。

 

 

・映画「ごっこ」の公開決定。

あれからもう二年近く経った。

もちろん先生のことは忘れちゃいないが、評論書くぞー追悼本書くぞーなんて気は失せたまま、その日を迎えた。

 

 

小路啓之先生の、「ごっこ」の、突然の映画化。 

 

「は?」

という感想が先にきて。

そのあとに本物の興奮がじわじわと湧き上がってきた。

まだ先生の作品の、続きが、この人の作品を発展させたいと思っている人がいたのか!

そう思ってうれしかったと同時に、何をやっているんだという気持ちにかられた。

 

俺は何をしていた?

 

この映画を作られている間に俺は何をしていた?

もちろん何もしちゃいない。

宣伝もなにもしていない。

評論本も作っていない。

あれだけ好きだった先生を語る機会を一切なくし、何もしていなかった。

 

俺は何をしている?

 

そう思って、今日この日の、ブログを書いた。

 

あの漫画をしっかり読んで、この漫画に込められたエッセンスに共感を覚え、映画にしようとしてくださった皆さんには感謝しかないと同時に、どこに惹かれたのか24時間飲み明かしたい気分でありますし、なんならもはやこのままの勢いで来世であいましょうも映画化してくれませんかね?無理ですかね?まあ試しに読んでみてくださいよ先生。

映画のポスターの背景に原作絵持ってくるとか粋なことしやがってバカヤロー。

明らかに漫画を「ただの原案」でなくて、漫画自体に思い入れある作り方じゃないですか。

映画を作る発端は誰ですか?

誰が最初に発案しました?

それに乗ったのは誰ですか?

いやマジで会いたい。

そのぐらいの興奮がずっとあった。

 

だから少しは、制作陣にこのブログが届いて、小路啓之作品こんなに好きなやつおるんやぞ、もっと広めろ!!!!

ということが知れれば、ちょっとは貢献できるんじゃねえかな、という思いもあって書かせていただいた。

それで少しでも、小路啓之ファンがまた増えれば。

また作品を、発展させてくれる人が増えれば。

 

それだけで。とてもとてもうれしい。

 

・好きな作家がいる人へ

ここに書かれている話は、好きな作家(同人レベルから商業誌連載レベルまで)が生きている人には全員読んでおいてほしかった。

生きているうちにしっかり布教してほしいし、何よりも、”死んだ後からが本番である”ということである。

死んだ後にその作家を広めるのは誰か?

その作家を好きだった人、つまりお前しかいない。

その作家がまだ発展途上だった?ならなおさらだ。

創作者に広げまくって刺激をあたえつづけろ。誰かがそれのオマージュを書くかもしれん。同人を書くかもしれん。それにインスパイアされた全く別作品を書くかもしれん。

そのはてに映画化してくれるかもしれん。

作家の生命は死んでも作品は残る。

そしてそれが未完のものであっても、エッセンスは残る。

不完全でもそれを好きと思ったお前が、感じ取ったものは何か。

そこにその漫画家の良さが詰まったエッセンスがある。

それを広めるんだ。

それを広めることで、作家も、やりきれねえ思いをしているお前らも救われる。

広めろ。

布教しろ。

作家はただのしかばねとなってしまった以上、声はあげられねえ。

上げられるのは出版社の宣伝と、書店の声だけだ。

お前が声をあげるしかない。

それをどうか、忘れないでほしい。

 

 

小路啓之氏「ごっこ」について

ここまで読んでいったんだから。ついでだ、「ごっこ」を宣伝するから見て行けよ。

「ごっこ」

 

 この表紙にいる変な目した子が「ヨヨ子」である。

主人公は30ちかくのおっさん。

そのおっさんがこのヨヨ子を誘拐し、”コト”に及ぼうとする。

しかし、ヨヨ子ちゃんは以前の親にぼろぼろに虐待されていたからか精神が不安定になっており、おっさんをお父さんと勘違いする。

それから、おっさんはヨヨ子のおっさんとしてふるまうことになった。

 

ストーリーを聞くと犯罪まみれでクソ気持ち悪い絵が浮かぶのだが、そこをうまく調整するのが小路啓之マジックである。

それ以降続くのはほのぼの子育て漫画で、この目つき悪いヨヨ子が生意気でありつつもだんだんとかわいいな~と思えてくる。それが重要なポイントで、これが萌え萌えのかわいらしすぎるキャラクターであったら、おっさんがコトに及ぼうとするほうにばかり目がいくだろう。

しかしこの絶妙なデザインと、変なことを言い出す子供の、妙な感覚をうまく描いているせいで、僕らもヨヨ子ちゃんを「見守る側」にすっかりと回ってしまい、おっさんも育児に専念しているからすっかり犯罪者と誘拐された側であることを忘れてしまう。

そんなこんなで話が続いていくわけだが、もちろん攫われたことが消えるわけではなく、ヨヨ子の本当の親が出てきたり、自分が犯罪者であることが最終的にばれてしまい……

 

と。

まあこんな感じである。

この作品の重要なポイントは、あくまでもメインは”育児漫画”かつ”恋愛漫画”であることである。

誘拐犯の悲痛な悩み……誘拐された子のつらい人生……

そういう社会派な話では全くない。いや、社会を描いているのに間違いではないが。

誘拐したというのはあくまでもこういった無関係だった大人と子供が家族ごっこをするという状況を作り出すためのキーでしかなく、そういった観点から「家族とは何か」「子供と親とは何か」という部分を描いていく話である。

「あらすじ聞いて身構えてたら案外読み始めたらほのぼのと読めてなーんだと思っていたらやっぱり身構えていたの間違えてなかったやんけ」

という感じで、油断してついつい心の門を開門して読んでしまうわけですが、そうすることで心にめちゃくちゃ刺さってくるのでぜひ心の門全開にしていってくださいね。

 

・映画「ごっこ」に求めること

もう出来上がっているのに、求めるも何もないですが。

もちろん映画化するうえで、ある程度映画を見る客層に作品を寄せていく必要があるのはわかっています。

しかしこの作品で重要なのは、「ほのぼの子育てシーン」です。

一回シリアスやどろどろとした重さを忘れさせ、そこでぐぐぐっと鑑賞者の心を油断させるのがとても大事だと思います。

それがあってからの、「いや、重要な話忘れたらあかんでしょ」とドカンとくるのがこの作品の醍醐味だと思っています。

それはどれだけシリアスさを残しつつ、ほのぼのさを全開に出していけるかというめちゃくちゃ難しい話だと思うんですよ。

ええ難しいと思います。

けどこれを映画化する以上、そうしてほしいなあ、というのが、一人のファンとしての、思いであります。

 

 

 

以上。

長くなりましたがこれにて。

みなさん、これをきっかけにぜひぜひ小路啓之作品、読んでくださいませ。

そして、死んでしまって、あるいは活動をやめて、そのまま忘れ去ってしまった作家さんが今までにいませんでしたか?そういう作家さんのこと、また思い出してみて、この記事よんでみてください。

 

おしまい。