言葉は水物、すぐに死ぬ

意識のうちに消失しないうちにさっさと文章にしましょう

書くツールを言い訳にするな

(円城塔「これはペンです」の引用含みます。ご了承ください。気になったら「これはペンです」読んでほんと。)

 

僕は書くツールをよく言い訳にする。

PCがないとか手書きができないとかなんとかかんとか。

 

だが叔父は言ったのだ。

書くツールに左右されぬ文章を書くことを目指すと。

正確にはいってはいない。ただの姪の憶測でしかない。

ただ、そのツールが血であろうが磁石であろうが岩であろうがDNA塩基配列であろうが、何かの記号を伝えるという意味での「ペン」には変わりなく、そういう意味ではそこらじゅうにペンなぞ転がっているものだ。

 

書くツールによっての味の出方なんて、はっきりいって大差はない。編集のしやすさ、文字の書ける速度の違いが出るだけで、それがそんなに文章それそのものに出るかというと甚だ疑問である。

 

叔父は、いや、姪は言った。そんな書くツールによって左右されるような貧弱な文章は叔父にも劣らぬと。そこに書こうという力強い意思さえあれば何が転がっていようが書くし、最高の書斎と十分な休暇と最高級の文房具が揃ったところで、一切書かぬ。

 

スマホ芥川賞が取れるのに、なぜ書く環境がなければよい文章がかけないという道理が通るのだろうか。

ならばともかく何のペンを取ってでもなにかしらを書くべきで、それを整理してまとめるのは冷静な人間に任せればいい。

 

純度が高ければ高いほど、文章は生きるし、なにかを狙えば狙うほど、純度はさがってどろどろに濁って死ぬ。

だから純度が高い文章が息をしているうちにこの世に生み出しておいたほうがいい。

そうしなければ頭の中に放置されたまま、最高の書斎を探している間に文章はの垂れ死ぬ。

 

純度さえ高ければ、そこに過程は関係ない。

肘ついて100円バーガー食いながらくそ騒がしいマックで女子高生の話聞きながら書こうが、病床につき血反吐まみれで書こうが、よい文章は評価されるし、くそな文章はゴミ箱に捨てられる。

 

ならばまあ、ともかくゴミ箱に投下するつもりで吐き出しておくべきで、粗大ごみとして回収され燃やされたらそれはそれで仕方ないという気持ちで生み出しておくべきなのである。

 

というわけで、この文章も、ゴミ箱に捨てるつもりで放り込んだ文章である。

気に入った人は、てきとうに拾っておいてくれ