はっぴゃくよんじゅうご

日記とは到底言えない承認欲求のための文章が転がる予定

他人の顔色伺って何もできないつまらない生き方

どうも。つまらない生き方をしているものです。

さてさて、今回は「他人の顔色を伺う」ということについてなんですが。他人がどう思っているかについて全く気にしない人はそうそういないでしょう。相当強い人です。まあただの自己中なだけかもしれませんが。
ここで言うのは「他人の顔色を必要以上に"気にしすぎる"人たち」のお話です。
僕もわりと他人の顔色を異様に気にするマンです。うまく軌道に乗れば、他人とはすすすーっと仲良くなれるのですが、そうでないとめちゃくちゃ半端になるんですよね。特に大学なんか、何回かあったことあるだけの知り合いとすれ違った時に「あーこれは挨拶すべきかな~いや向こうたいして俺のこと覚えてないでしょいやでも無視するのもあれだしうーんうーんよし気づかないフリしよ」ってなって、向こうから挨拶されて申し訳なく思ったり、逆に挨拶したらガン無視されたりしてそのたびに凹みます。
僕は人の相談に乗ったりすることが多いので、相談乗ったりだとか逆にこっちが相談したりとか、いったん相手のこと深く知ると大丈夫なんですが、相手のことわからんうちはあわわ~ってなりっぱなしです。浅く広い関係ってのが無理なんですよね。なんか浅い会話ってのがどうも苦手で、何かを語ったり、或いは相談だったり、何かを議論したり、そういった会話がないとなかなか人と仲良くなれない。どうも、会話を深い方に深い方に、ともっていきがちになる。
だもんで男子大学生の友達がやったら少ないんですよね。なんかみんなでワイワイ遊ぶ、とかも苦手なたちで、人を誘う以上、なにかしら理由がないと難しい。ただ遊ぶ、ってのが無理なんですよね。いやできないことはないけれど、それをきっかけにもう一回行こう!とかなる方ではない。基本的に他人と遊ぶ時は、相手を知るためであって、わりと会話に重きを置くので。
僕の場合順序が逆なんですよ。なにかしらを話して、お互いを知ることができてから、ただ遊ぶだけ、ってことが可能になる。一般の男子大学生と多分真逆なんですよね。
つまり、どこか他人に怯えているところがある。相手を知ってからでないと、深く仲良くなれない。一度でもいい、10分でもいい、互いの悩みや語りたいことを話すことが少しでも出来れば、「あいつとは深く話すことができる」ってなって、以降普通に接することができるんですが。それがなかなか難しい。

他人に怯えている、という根拠として、他人が自分に向けるマイナス感情にはやたら敏感で(敏感であることと気を遣えることは別)、プラス感情は「いや向くわけないでしょ」ってしか思ってないんですよね。プラス感情でないにしても、自分に対する感情がフラット(プラスでもマイナスでもない)であると思うだけでもめちゃくちゃ時間がかかってしまう。最近は大分マシになって、フラットに持っていくまで時間はかからなくなったんですが、でもいまだに、まだ仲良くなっていない人からのマイナス感情はやたら気にして、相手が思っていなくとも「マイナス感情を抱いているのでは?」と思ってしまうんですよね。

さてさて、ここまで自身の「他人の顔色を伺うこと」に関して書いたわけですが。正直この生き方くそつまんねぇなって思うわけです。なんで見ず知らずの他人の顔色なんぞ伺って心疲れなきゃならんのかってはなしで。冷静に考えるとめちゃくちゃバカらしいわけです。でもまあ気にしちゃうもんは気にしちゃう。僕の場合は、多分幼い頃、親父がごくごくたまーに理不尽に怒鳴るのがトラウマになっていて、いまだに親父とは真正面から話ができない。顔色を伺ってしまう。そこから来ている性格だと思うので、根が深くてなかなかやめらんないわけですよね。そういう性格の直し方をネット見てたら「自分中心で考えていきましょう」なんて出てきましたが、自分の意見がないんですよね。「他人に対する自分の意見」や「なにかに対する自分の意見」は腐るほどあるんですが、"他人"や"物事"が先に来ない、純粋な自分の意見は全く無くて。それか抑え込みすぎてわからないだけなのか。
自分の意見ってのがないと、社会にほっぽりだされた時に大変だとは思うんですけどね。

というわけで。
顔色伺って生きると大変だし、くそつまんねぇなってなるからやめましょう。けどやめられたら苦労せぇへんわアホ、って話でした。
おしまい。