(注意:虐殺器官のネタバレありです。原作の映画化にイチャモンつける話なので、原作読んで「映画どうかな」て気になってた人、映画観て「原作どうかな」て思ってた人にオススメです。まあネタバレ気にしないなら特に気にせずどうぞ)
先日、滑り込みで虐殺器官を見てまいりました。
あーーーーーーー。
ってなりました。
うん。なんか、言葉に困る。まあ、それなりに原作再現してて、よかったんだけど…
うーん、ってしばらく悩んだ挙句、一つの答えが。
制作側のやりたいことが半端で、はっきりしなさすぎる
ぶっちゃけ、Project Itoh全体がそんな感じだ。
これに尽きる。順番に説明していきましょう。
(以下、ネタバレですがっつり)
・虐殺器官の評価
全体の評価は一旦置いておいて。とりあえず虐殺器官の話からしましょう。
結構原作再現のシーンあったんですよ。「地獄はここにあります。頭の中の、脳みその中に」とか、「不条理なもんは全部カフカだ」とか、台詞で印象に残るものはまあまあ使われてた。けどいくつか抜けてるものがありましたね。
抜けてる部分と変更点に関して紹介しましょう。
①クラヴィスの母親のくだり(夢の話含め)がガッツリ抜けている
②アレックスが自殺じゃなく、最初の任務で暴走して殺されてる
③カウンセリングのシーンは最後の少年少女を殺すためのとこ以外カット
④第四部3ほぼカット
⑤映画冒頭のほうにサラエボの核のシーンが書かれる(ジョンポールがニュースでそれを知るシーンも)
⑥一回目ジョンポールを捕まえたシーン、列車で輸送でなく、ヘリでそのまま輸送になっている
⑦虐殺の文法が入ったSDカードみたいなもんがある(それをルツィアが死ぬ直前のシーンでクラヴィスが手にする)
⑧最後のジョンポールと二人で草原で会話するシーンで、なにか(虐殺の文法の話を世界にするって話?ここはぼかしてる。さすがに覚えていない)「お前にしかできない」と言い、クラヴィスがジョンポールを殺す
ま、ざっとこんな感じですかね。細かい部分見逃しあると思いますし、説明しずらくどうでもよさげなとこは書いてません。
さて、先に言っておきますが、小説をアニメ化するにあたって、ある程度カットせざるを得ないのは承知しています。にしても、もうちょいなんとかならんかったのか…って感じでした。
全体的に言うと、やっぱり中途半端です。
まず主人公の感情部分の描写が少なすぎました。
母親のシーンを全カットしてるあたりでだいたいわかるとは思いますが。
映画だけ観た人のために言うと、クラヴィスは原作よりもっと悶々と悩むシーンがあるんですよね。それの一つが母親のシーンなんですよ。原作では、母親は事故で脳に大きなダメージを受け、脳の機能モジュールの一部が死に、心臓だけが動いている状態になった。
「どれだけのモジュールが残っていれば、それが意識と呼べるのか、われわれはそれを経験することができないんです。死というものが経験できないような意味で」
”脳死”じゃなくて、脳の一部はちゃんと生きている。脳の一部は死んでいる。だが、そのどこが生きていれば”意識がある”と言えて、どこが死んでしまったら”意識がない”と言えるのか。痛みはあるのか、ないのか。それすら、わからない。
医者にそう言われ、治療を続けるか否かを選ばされ、悩んだ末に、クラヴィスは…
まあわかるかもですが、原作読んでない派のために伏せましょう。
そういう話があって、母親が夢に何回も出てくるんですよね。
カットされたカウンセリングでも結構その話をしている。
それは主人公の性格を理解するのにわりと重要な話だったんですよね。生死の扱い方が複雑になっているって話としても重要だったし。そしてカウンセリングは感情マスキングの点で重要だった。
ですが。アニメのほうだとここら全カットですよ。だから主人公は感情マスキングとか関係なしに普通にぽいぽい殺してる軍人にしか見えない。母親の話、”ぼく”という一人称、カウンセリング、それがあるから、軍人なのに少しだけおさなく見える感じがあったが、アニメは普通だ……
で、で。ここからです、今読むのやめようと思った人待て。
正直、原作の完全再現なんて無理です。
アニメ三部作とかにしなきゃ、無理なんですよ。そんなの。ましてやSFです。
説明だらけのぐだぐだわけわからんアニメになりかねない。ある程度のカットはしゃーないってのはわかってるんですよ。わかってる。
でも、「じゃあ原作は置いておいて、アニメとしていい作品に出来上がっているか?」というと、全然なんですよこれが。
僕が一番怒っておるのはここです。
中途半端。わかりやすいエンタメアニメにもなってない、原作再現もできてない。
ポイントは、ここなんですよ。
なんか大まかな流れはきっちりと原作に沿っている割には、上記に示した重要なファクターを抜かすし、そのわりには、アニメとしてわかりづらい。原作に沿っているわりにカットしているので、専門用語が一部分かりにくいんですよ。そして主人公の感情描写を少なくしちゃっているので、アニメとして楽しもうにも、感情移入ができないし、主人公の行動の意味がよくわかんなくなってくる。
レビュー何件か観ましたが、母親の描写なくてルツィアとの会話も一部カットしてるんで、そのせいで「こいつなんでいきなりこんなルツィア好き好きなってんだ?」ってレビューで書いてた人多かったですね。
全体的に、SF的説明をするのに必死だった、って感じですかね。痛覚マスキング、感情マスキングに一応触れたり(まあそれでも一応、って程度)、ルツィアとの会話もピジン英語のくだりはちゃんと話したりとか、SF的な部分はちゃんと書いてるんですよね。けど、それも言ってしまうと、半端に削ってるので、”ちゃんとSF部分描けているか?”というと、明らかに説明不足だよなあという部分あるし、そっち削ってなんでこっち書くねんわざわざってとこが目立つんですよねえ……痛覚と感情マスキングの話もすっかり忘れてますしね。SF的に感情カットしてるってより「まあ普通に軍人はこんなもんなんかね」ぐらいにしか思わなかったので、アニメでジョンポールに「感情をマスキングしている君らにはわからない」的なことを言った時も「あ、そういやそうだったな」くらいにしか、思わなかったなあ。って感じでした。
原作改変、別に気にならない点でさっき上げたこれがあります↓
⑥一回目ジョンポールを捕まえたシーン、列車で輸送でなく、ヘリでそのまま輸送になっている
別にこんなの、「ああアニメだししゃーないか」ぐらいで、気にならんのですよ。
けどアニメで見たとき、ヘリが一回落とされるんですよ。だから墜落して、気づいたら森の中でここどこだみたいななってたら、いきなり攻撃されるんですよね。けど僕はヘリから落ちて、どこか遠くに落ちたもんだと思ってたので、よくわかってなかったんですよね。「え、この攻撃してきたのは何や、現地住民かなんかかいな」てなりましたね。
列車だったら、普通に爆破されて列車内に取り残されてたら、さっき攻撃してきたやつがさらに攻めてきたってすぐわかるんですが、”ヘリから落ちて、森の中”って場面転換されたあとに場面前の敵が出てくると混乱しますね。
まあここ、イチャモンつけるとこではそんなにないんですが、原作変える必要ないのにわざわざ変えてそれでわかりづらくなってる、ってもう何がやりたいかわかんなくてむかついたのであげておきました。そもそも伊藤計劃が映画好きで、映画っぽい書き方になってるんで変に変える必要はないはずですが。
だからこそ「大きく改変して、みんなにわかりやすいエンタメアニメに」みたいなのがしずらかったのかもですが。
もうひとつ許せんのが、最後の方、一番重要なラストの方、なんかルツィアのために?とか言って虐殺の文法をアメリカにながすのが意味がわからない。そんなの原作で出てないし、アニメ用に改変する意味もわからない。
原作に忠実か、アニメとして忠実か。
どっちでもないんですよ。忠実さがない。
半端。それが一番むかつきましたね。
・結局一番売れたのは屍者の帝国
色々検索かけましたが、DVDBDも、観客動員数も三作品の中では屍者の帝国が一番多いみたいですね。虐殺器官もハーモニーもどうやら週間トップ10入りすらしていないようで、正確な数字が出てこないです。屍者の帝国が唯一トップ6くらいに入っていたので。DVDBDはハーモニーがたしか合算6000前後で、屍者の帝国が12000くらいだったかな。
屍者の帝国は、そもそも原作が伊藤計劃の書きかけでしたし、帯や宣伝文句では「伊藤計劃の作品を円城塔が完成させた!!!」みたいに書いてましたが、まあ完全に円城塔は「自分は伊藤計劃さんのテイストで書けないので」ってことで完全に円城塔テイストで書いてますからね。だから”伊藤計劃三部作”って考えると、原作ってもんがほぼ存在しないに等しい。だから結構小説版の屍者の帝国から書きかえられてましたね。
絵もわりとアニメ調でしたね。ぼくは小説も途中までしか読んでないですし、アニメも観てないですが、あらすじざっと見た時点で小説からかなり書き変えたのはわかりましたね。だから「あ、ちゃんとアニメに忠実にしたんだな」と思いました。
そもそも、Project Itoh自体、これを軸に若者を取り込んでSFに引っ張っていこう!って感じなのかな?とは思ってました。SF界隈でやたら伊藤計劃ヨイショされてましたしね。うんざりしてましたけど。だからハーモニーも虐殺器官も屍者の帝国も、腐向け?っぽいグッズもありましたしね(偏見ですいません。たしか女性向けのグッズでよく見るデザインが使われていたんです…)。
これがねーーーーーーーー。屍者の帝国まではわかったんですが、他二作品でこういうことをやる理由はわからんというか、ナメてるのか??????????って感じでした。だって屍者の帝国はアニメのデザインもちょっと腐向けにしてあったんでまだわかりますけど、ハーモニーと虐殺器官でこれされても…って感じですよ。
まあ調べたら原作絵のグッズもまあまあありました。どっちにしろ、アニメが絵が感情移入できるアレでなかったので、グッズ買う気にはならんかったですが。原作に忠実にするなら、グッズ商法で儲けるのは無理だと思うんですがね。いうてとりあえずある絵をTシャツとキーホルダーにしただけでしたが。
そういうグッズ展開の仕方も含めて、なんか、アニメにしてりゃ若者来ると思ったんか?ナメてね?みたいに思いましたね。
ハーモニーと虐殺器官は、いかんせん原作通りすぎましたね。
ハーモニーは原作に近くて、全体的によかったと思いますよ。けどその分アニメ映画として評価するとちょっと微妙になっちゃいましたね。
うーーーーーん。
タイトルに戻ります。僕は正直、小説は小説でできないことをやるべきだし、アニメはアニメで、映画は映画でしかできないことをやるべきだと思うんですよ。
小説は文字であることをいいことに会話多めに説明多めにしても問題ないが、アニメだとだれる。向き不向きがある。
だから小説をそのまま映像化する意味って、あんまりないと思うんですよね。
メディアの違いです。今回、伊藤計劃作品のアニメ化、Project Itohがいまいち当たらなかったのって、いかんせんSF界隈で評価されすぎて、原作いじりにくかったというか。
実写化とかでよく批判されますけど。原作改変。でもそれで実写として微妙な作品になるなら作らなくていいでしょ。別に実写化で改変されたからって原作が消え去るわけじゃないんで、僕はむしろ、メディアの違いを理解しないまま変に原作を固持して、映画観た人から「なんや、伊藤計劃つまらんわwwwwようわかんねwwwww」って言われる方が嫌ですね。
虐殺器官、変に原作守ったわりに肝心なとこ抜いてるんで、映画だけ観た人に「これ原作微妙なんじゃね」って言われる可能性めちゃくちゃ高いんですよ。それが最悪ですよ。しかも原作に忠実でちょっとしか違わない、だと原作読まない可能性高いじゃないですか。最悪ですよ。それならがっつり改変してた方がいい。興味ある人はそれでもちゃんと原作読むから。興味ない人は改変しようがしまいが読まないから。
メディアの違いを理解せよ。
メディアの違い、メディアによる捉え方の違い、層の違い。
そこを理解し、はっきりとどこ向けに売るかって作ってたら、良かったんですがね。
終わりです。
ほんと、原作はいいんです…………映画観た人はちゃんと原作観てください……
特に虐殺器官………ちゃんと読んで………ほんと………
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