ばしこ氏のブログ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

書くことエンジン、ノンストップ180km/h

・180km/h、出してきました。

滝口悠生さんのイベントにいってきました。日記を書くことについてのワークをするイベントで、一応新刊の「茄子の輝き」刊行イベント、という形ではありましたが、ほとんど日記の話と書くことについての話がメインでした。それがとても楽しくてよかったです笑
それで、とても「わかる!!!」となったのが、「人に見せる文章と、他人に見せる文章は違う」ってことです。人に見せる文章、ってなるとどうしても「これは皆わからないから説明しなきゃ」とか、「あれはつまんない」とかになりがちになります。けども、だれも読まない、自分しか読まない日記ってのは、そんなの気にしなくて良い。「とも、ビール、本」。昨日の出来事は、自分はこれだけで伝わる。この間にあるものは自分の中にあるので。
基本的に僕は文章を書くのがすきだ。だから普段からわーーーーーーっと文章を書くことが多い。そうやってると、どうしても「これはいいもんじゃないか?」「おもしろいんじゃないか?」「みてもらおう!」と思ってしまって、書き直してネットにあげたりする。しかし、たいがいが途中で頓挫する。
だって、自分が書きたくなくって、けど他人に見せるために書く文章が途中で出てくると、めちゃくちゃ面倒だから。
そんなんわしの脳内見て考えんかい!テレパシーじゃ!!!!!と、どうしてもなってしまい、しかし人様に見せるとなるとそうもいかず、結局お蔵入りになって、日記でおわる。
そんなかんじで、ずっと色々書いてきた。
ただただ書くってことは好きなんだけれども、けどっぱりその書くってことでだれかに認められたいというのがどこかにあって、しかしそれが出てきた瞬間、文章のよさってものはどっかに置いていってしまう。
だからできるだけ、書くことに対するエンジンが、ぎゅいんぎゅいんいってるときに書いた方がいいかなとおもってる。
今回の日記もそうだった。
日記を書きなさい、と言われんだけれども、自分の書くことエンジンは昨日の出来事じゃ全く作用せず、思いがけず近所の理髪店でエンジンかかってしまったので、それでががーっとかいてしまった。しかしおもしろいのが、ほんとに推敲なし思考なしでノンストップで書いたつもりが、案外まとまりのある話になって、その話が一通り終わってからの文章とか、そのはなしが始まる前の文章なんかは、考えてかいたせいかぴりっとこない。むむむって感じ。
今はラーメン食べて、少しエンジンさまして、時速60km/hくらいってところ。出るときは180km/hを公道で出そうって勢いになってしまう。もちろんそんなに続かなくて終わる。

でも今回の日記は、まさに180km/hだった。
とってもよかったなー、と思ったのが、ちゃんと突っ走れたことだ。自分は普段、人前になると絶対20km/h運転になる。ガチガチにルールに怯えて、しっかり走ろうってなってしまう。だからノンストップ180km/h文章を今回書いたのであった。
それをちゃんと滝口さんや、文章のお仕事に携わる方、文章が好きな方々の前で発表できたのはよかった。
今回書いた文章は冊子になるそうで、楽しみに待つ。そのときにまた公開しようかなとおもう。

 

・「これはペンです」の、ペン

それでちょっと思ったことが、ノンストップ180km/h文章とめちゃくちゃ丁寧20km/h文章の合間、60km/h文章を書くのがめっちゃむずいってことだ(全然間じゃないけどきにせずに)。
自分は何か書く時のわーーーーーーっと感を、ひとつにまとめたりしたい。本にしたり、したい。けども、どーーしてもそうなると20km/hめちゃくちゃ丁寧ガチガチ緊張文章になって、どっと疲れて書くのをやめてしまう。かといって、180km/h暴走文章が続くわけもない。
今くらいの、時速60kmの、のんびり文章がつづくのが、自分がすきで、長く書けるスピードだ。

それで、さらにまた思ったことが、ちょうどいいスピードで文章を書くには、「ペン」がめちゃくちゃ大事だなってことなのだ。
これは、円城塔さんの「これはペンです」的なペンだ。自分の解釈と他の人の解釈が違ったらアレなので書くと、あれはいろんな道具を使って文章を書く話だった。けども、いろんな道具=広義のペン、で文章を書くと、どうしても「ペン」に文章が振り回されてしまうってかんじの話だった。磁石に文字がかかれたやつで手紙かいてみたりとか(当然磁石なので反発したりくっついたりでちゃんとかけない)。文字が書かれた岩でかいたりとか(ショベルカーで。結局怪我して血文字で書くはめに)。塩基配列でかいたりとか(バイオテロかと疑われる)。
「これはペンです」の中では、そういう変な「ペン」で叔父さんがいろんな文章を書くのだが、叔父さんはその「ペン」に振り回されない文章を書こうと、どんな「ペン」であっても同じ文章が書こうとしている、と主人公が解釈していた。

じゃあ実際はどうだろうか。自分の周りには、結構いろんな「ペン」がある。スマホ、キーボード、PC、ボールペン、お気に入りのシャープペンシル、マジック、声、とか。そしてさらに、それをどこに出すかでもまた違ってくる。スマホなら、メール、ツイッターはてなブログ、LINE………手書きなら、ほぼ日手帳、100均のメモ帳、ハウステンボスのトラベリングマンのノート、キャンパスノート、A4用紙…………
そういう意味では、書く道具書く道具、「ペン」だけでなく、何に書くかによってぜんぜん違う文章が生まれると思うのだ。

僕はこれを全部ひっくるめて、ひとつの「ペン」としたい。スマホツイッター。PCでツイッタースマホでメール。下書きメール。Gmail。手書きのほぼ日手帳。A4。それぞれで全部違うんだと思う。
だから、ちょうどよい、ほどよい「ペン」で、書くのが大事だなぁ、と思ったのだった。

 

それだけじゃなくて、今回のイベントで大きく思ったのが、全く同じ「ペン」でも、公開範囲で違うということだ。今日ホテルでA4で書くのと、今日のイベントで同じA4で書くのは、たぶん違うから。その公開範囲までもが、「ペン」なのだ。
そうすると、その「ペン」は、自分の意思である程度書きやすさ書きにくさを操作できるってことになる。今日も、公開範囲は広かったけれども、エンジンフルスロットル180km/h文章をだすことができた。
一人で部屋にこもってかっとばす文章とそんなに変わらない文章がかけたと思う。

だから「これはペンです」で叔父さんが目指すところって、こういうところなのかなぁ、とぼんやり思ったのでありました。

今日の文章はまとまったのでここまで。

全然滝口さんの作品の話が出てこなかったので、以前読んだジミヘンをまた読み返して、あと茄子の輝きもよんで、思うとこあったらまた書きます。
一応、これより下に、「イベント終わってまだ180km/hでてるときに書いた文章」を貼っとくので、きになるひとは読んでみて、この文章との120km/hの差がどこにあるのかを読んで確かめてみてください。
案外ないかもね笑

 

 

 


(以下、180km/h文章)
***********

普段の自分は文章の「書く勢い」みたいなのがあって、がーーー~っとかいてさっとおわる。それ以上やるにはちょっとやすんで冷まさないと無理。そんなやり方でずっとかいてる。今日もがーーーっとかいてがーーっとおわった。終わったあと無理矢理体裁を保とうと思ったけど全然だめだった。
でもそれはだめってのは、あくまでみせるためだからだめなんであって、別に日記にダメもくそもないはずなんだけど。というわけで今回はがーーっとまたかいてみることにする。推敲はなし。いつもどおり。推敲すると色々と死んじゃうから。今日書いたのは理髪店の話だった。昨日の話をがーーっとかいていたら、美容室の話が出てきて、そこから理髪店の話か思い付いて、がーーっと書いてみた。それですごいすっきり感がして、昨日起きたことはさっぱり書かなかった。
でもすっきりした。のわりに、なんだか人に見せるみたいな、話まとまったかんじになっちゃったなぁ、と思った。
研修をしてて思ったのが、自分はまとめたり説明するのがうまいと言われる。それがどこかで勝手に働いてる気がしちゃうんだよな。だからいまもわーっとかいてるけれど、どこかでそれがさようしている気がする。
でもでも一方で、この文章もそうだし、あの日記もそうだし、がーーっとノンストップ推敲思考ほぼなしで突っ走っているのは事実だ。だってそんなことしなかったら、自分はまとめたりとか他人に見られるとかを気にするタイプ。絶対どっかで文章か死ぬ。どっかでかっこつけがめちゃくちゃ出てしまう。こういう、めちゃくちゃ、とかつかうのも、ある意味そういうかっこつけをごまかすために稚拙に使ってる感はある。
だから、だれにも干渉されない文章、だれにも見せるつもりがない文章ってのを書く場所は、滝口さんがいってたように作るべきだなぁと思うし、実際作ってる。一月に一回、あるいは一週間に一回、あるいは半年に一回、わーーーーーーっと書いている。わーーーーーーっとかけるうちにかいてしまわないと死ぬ。なんかもうでてこなくなる。ので書けるうちエンジンかかってるうちにわーーーーーーっとかく。無理矢理書いてもかかるときはかかる。かからんときはかからん。
そんなかんじて、日記かけばいいのかなぁ。うん。

伊藤計劃作品アニメ化、大失敗!!!!!~メディアの違いを理解せよ~

(注意:虐殺器官のネタバレありです。原作の映画化にイチャモンつける話なので、原作読んで「映画どうかな」て気になってた人、映画観て「原作どうかな」て思ってた人にオススメです。まあネタバレ気にしないなら特に気にせずどうぞ)

 

先日、滑り込みで虐殺器官を見てまいりました。

あーーーーーーー。

ってなりました。

うん。なんか、言葉に困る。まあ、それなりに原作再現してて、よかったんだけど…

 

うーん、ってしばらく悩んだ挙句、一つの答えが。

 

制作側のやりたいことが半端で、はっきりしなさすぎる

ぶっちゃけ、Project Itoh全体がそんな感じだ。

 

これに尽きる。順番に説明していきましょう。

 

 

(以下、ネタバレですがっつり)

 

 

 

 

 

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

 

 

虐殺器官の評価

全体の評価は一旦置いておいて。とりあえず虐殺器官の話からしましょう。

結構原作再現のシーンあったんですよ。「地獄はここにあります。頭の中の、脳みその中に」とか、「不条理なもんは全部カフカだ」とか、台詞で印象に残るものはまあまあ使われてた。けどいくつか抜けてるものがありましたね。

抜けてる部分と変更点に関して紹介しましょう。

①クラヴィスの母親のくだり(夢の話含め)がガッツリ抜けている

②アレックスが自殺じゃなく、最初の任務で暴走して殺されてる

③カウンセリングのシーンは最後の少年少女を殺すためのとこ以外カット

④第四部3ほぼカット

⑤映画冒頭のほうにサラエボの核のシーンが書かれる(ジョンポールがニュースでそれを知るシーンも)

⑥一回目ジョンポールを捕まえたシーン、列車で輸送でなく、ヘリでそのまま輸送になっている

⑦虐殺の文法が入ったSDカードみたいなもんがある(それをルツィアが死ぬ直前のシーンでクラヴィスが手にする)

⑧最後のジョンポールと二人で草原で会話するシーンで、なにか(虐殺の文法の話を世界にするって話?ここはぼかしてる。さすがに覚えていない)「お前にしかできない」と言い、クラヴィスがジョンポールを殺す

 

ま、ざっとこんな感じですかね。細かい部分見逃しあると思いますし、説明しずらくどうでもよさげなとこは書いてません。

さて、先に言っておきますが、小説をアニメ化するにあたって、ある程度カットせざるを得ないのは承知しています。にしても、もうちょいなんとかならんかったのか…って感じでした。

全体的に言うと、やっぱり中途半端です。

まず主人公の感情部分の描写が少なすぎました。

母親のシーンを全カットしてるあたりでだいたいわかるとは思いますが。

映画だけ観た人のために言うと、クラヴィスは原作よりもっと悶々と悩むシーンがあるんですよね。それの一つが母親のシーンなんですよ。原作では、母親は事故で脳に大きなダメージを受け、脳の機能モジュールの一部が死に、心臓だけが動いている状態になった。

「どれだけのモジュールが残っていれば、それが意識と呼べるのか、われわれはそれを経験することができないんです。死というものが経験できないような意味で」

脳死”じゃなくて、脳の一部はちゃんと生きている。脳の一部は死んでいる。だが、そのどこが生きていれば”意識がある”と言えて、どこが死んでしまったら”意識がない”と言えるのか。痛みはあるのか、ないのか。それすら、わからない。

医者にそう言われ、治療を続けるか否かを選ばされ、悩んだ末に、クラヴィスは…

まあわかるかもですが、原作読んでない派のために伏せましょう。

そういう話があって、母親が夢に何回も出てくるんですよね。

カットされたカウンセリングでも結構その話をしている。

それは主人公の性格を理解するのにわりと重要な話だったんですよね。生死の扱い方が複雑になっているって話としても重要だったし。そしてカウンセリングは感情マスキングの点で重要だった。

ですが。アニメのほうだとここら全カットですよ。だから主人公は感情マスキングとか関係なしに普通にぽいぽい殺してる軍人にしか見えない。母親の話、”ぼく”という一人称、カウンセリング、それがあるから、軍人なのに少しだけおさなく見える感じがあったが、アニメは普通だ……

で、で。ここからです、今読むのやめようと思った人待て。

正直、原作の完全再現なんて無理です。

アニメ三部作とかにしなきゃ、無理なんですよ。そんなの。ましてやSFです。

説明だらけのぐだぐだわけわからんアニメになりかねない。ある程度のカットはしゃーないってのはわかってるんですよ。わかってる。

でも、「じゃあ原作は置いておいて、アニメとしていい作品に出来上がっているか?」というと、全然なんですよこれが。

僕が一番怒っておるのはここです。

中途半端。わかりやすいエンタメアニメにもなってない、原作再現もできてない。

ポイントは、ここなんですよ。

なんか大まかな流れはきっちりと原作に沿っている割には、上記に示した重要なファクターを抜かすし、そのわりには、アニメとしてわかりづらい。原作に沿っているわりにカットしているので、専門用語が一部分かりにくいんですよ。そして主人公の感情描写を少なくしちゃっているので、アニメとして楽しもうにも、感情移入ができないし、主人公の行動の意味がよくわかんなくなってくる。

レビュー何件か観ましたが、母親の描写なくてルツィアとの会話も一部カットしてるんで、そのせいで「こいつなんでいきなりこんなルツィア好き好きなってんだ?」ってレビューで書いてた人多かったですね。

全体的に、SF的説明をするのに必死だった、って感じですかね。痛覚マスキング、感情マスキングに一応触れたり(まあそれでも一応、って程度)、ルツィアとの会話もピジン英語のくだりはちゃんと話したりとか、SF的な部分はちゃんと書いてるんですよね。けど、それも言ってしまうと、半端に削ってるので、”ちゃんとSF部分描けているか?”というと、明らかに説明不足だよなあという部分あるし、そっち削ってなんでこっち書くねんわざわざってとこが目立つんですよねえ……痛覚と感情マスキングの話もすっかり忘れてますしね。SF的に感情カットしてるってより「まあ普通に軍人はこんなもんなんかね」ぐらいにしか思わなかったので、アニメでジョンポールに「感情をマスキングしている君らにはわからない」的なことを言った時も「あ、そういやそうだったな」くらいにしか、思わなかったなあ。って感じでした。

原作改変、別に気にならない点でさっき上げたこれがあります↓

⑥一回目ジョンポールを捕まえたシーン、列車で輸送でなく、ヘリでそのまま輸送になっている

別にこんなの、「ああアニメだししゃーないか」ぐらいで、気にならんのですよ。

けどアニメで見たとき、ヘリが一回落とされるんですよ。だから墜落して、気づいたら森の中でここどこだみたいななってたら、いきなり攻撃されるんですよね。けど僕はヘリから落ちて、どこか遠くに落ちたもんだと思ってたので、よくわかってなかったんですよね。「え、この攻撃してきたのは何や、現地住民かなんかかいな」てなりましたね。

列車だったら、普通に爆破されて列車内に取り残されてたら、さっき攻撃してきたやつがさらに攻めてきたってすぐわかるんですが、”ヘリから落ちて、森の中”って場面転換されたあとに場面前の敵が出てくると混乱しますね。

まあここ、イチャモンつけるとこではそんなにないんですが、原作変える必要ないのにわざわざ変えてそれでわかりづらくなってる、ってもう何がやりたいかわかんなくてむかついたのであげておきました。そもそも伊藤計劃が映画好きで、映画っぽい書き方になってるんで変に変える必要はないはずですが。

だからこそ「大きく改変して、みんなにわかりやすいエンタメアニメに」みたいなのがしずらかったのかもですが。

もうひとつ許せんのが、最後の方、一番重要なラストの方、なんかルツィアのために?とか言って虐殺の文法をアメリカにながすのが意味がわからない。そんなの原作で出てないし、アニメ用に改変する意味もわからない。

原作に忠実か、アニメとして忠実か。

どっちでもないんですよ。忠実さがない。

半端。それが一番むかつきましたね。

 

・結局一番売れたのは屍者の帝国

色々検索かけましたが、DVDBDも、観客動員数も三作品の中では屍者の帝国が一番多いみたいですね。虐殺器官もハーモニーもどうやら週間トップ10入りすらしていないようで、正確な数字が出てこないです。屍者の帝国が唯一トップ6くらいに入っていたので。DVDBDはハーモニーがたしか合算6000前後で、屍者の帝国が12000くらいだったかな。

屍者の帝国は、そもそも原作が伊藤計劃の書きかけでしたし、帯や宣伝文句では「伊藤計劃の作品を円城塔が完成させた!!!」みたいに書いてましたが、まあ完全に円城塔は「自分は伊藤計劃さんのテイストで書けないので」ってことで完全に円城塔テイストで書いてますからね。だから”伊藤計劃三部作”って考えると、原作ってもんがほぼ存在しないに等しい。だから結構小説版の屍者の帝国から書きかえられてましたね。

絵もわりとアニメ調でしたね。ぼくは小説も途中までしか読んでないですし、アニメも観てないですが、あらすじざっと見た時点で小説からかなり書き変えたのはわかりましたね。だから「あ、ちゃんとアニメに忠実にしたんだな」と思いました。

 

 

屍者の帝国

屍者の帝国

 

 

 

 

 

そもそも、Project Itoh自体、これを軸に若者を取り込んでSFに引っ張っていこう!って感じなのかな?とは思ってました。SF界隈でやたら伊藤計劃ヨイショされてましたしね。うんざりしてましたけど。だからハーモニーも虐殺器官屍者の帝国も、腐向け?っぽいグッズもありましたしね(偏見ですいません。たしか女性向けのグッズでよく見るデザインが使われていたんです…)。

これがねーーーーーーーー。屍者の帝国まではわかったんですが、他二作品でこういうことをやる理由はわからんというか、ナメてるのか??????????って感じでした。だって屍者の帝国はアニメのデザインもちょっと腐向けにしてあったんでまだわかりますけど、ハーモニーと虐殺器官でこれされても…って感じですよ。

まあ調べたら原作絵のグッズもまあまあありました。どっちにしろ、アニメが絵が感情移入できるアレでなかったので、グッズ買う気にはならんかったですが。原作に忠実にするなら、グッズ商法で儲けるのは無理だと思うんですがね。いうてとりあえずある絵をTシャツとキーホルダーにしただけでしたが。

そういうグッズ展開の仕方も含めて、なんか、アニメにしてりゃ若者来ると思ったんか?ナメてね?みたいに思いましたね。

ハーモニーと虐殺器官は、いかんせん原作通りすぎましたね。

ハーモニーは原作に近くて、全体的によかったと思いますよ。けどその分アニメ映画として評価するとちょっと微妙になっちゃいましたね。

 

 

ハーモニー

ハーモニー

 

 

 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

うーーーーーん。

タイトルに戻ります。僕は正直、小説は小説でできないことをやるべきだし、アニメはアニメで、映画は映画でしかできないことをやるべきだと思うんですよ。

小説は文字であることをいいことに会話多めに説明多めにしても問題ないが、アニメだとだれる。向き不向きがある。

だから小説をそのまま映像化する意味って、あんまりないと思うんですよね。

メディアの違いです。今回、伊藤計劃作品のアニメ化、Project Itohがいまいち当たらなかったのって、いかんせんSF界隈で評価されすぎて、原作いじりにくかったというか。

実写化とかでよく批判されますけど。原作改変。でもそれで実写として微妙な作品になるなら作らなくていいでしょ。別に実写化で改変されたからって原作が消え去るわけじゃないんで、僕はむしろ、メディアの違いを理解しないまま変に原作を固持して、映画観た人から「なんや、伊藤計劃つまらんわwwwwようわかんねwwwww」って言われる方が嫌ですね。

虐殺器官、変に原作守ったわりに肝心なとこ抜いてるんで、映画だけ観た人に「これ原作微妙なんじゃね」って言われる可能性めちゃくちゃ高いんですよ。それが最悪ですよ。しかも原作に忠実でちょっとしか違わない、だと原作読まない可能性高いじゃないですか。最悪ですよ。それならがっつり改変してた方がいい。興味ある人はそれでもちゃんと原作読むから。興味ない人は改変しようがしまいが読まないから。

 

メディアの違いを理解せよ。

メディアの違い、メディアによる捉え方の違い、層の違い。

そこを理解し、はっきりとどこ向けに売るかって作ってたら、良かったんですがね。

 

終わりです。

ほんと、原作はいいんです…………映画観た人はちゃんと原作観てください……

特に虐殺器官………ちゃんと読んで………ほんと………

 

 

 

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

伊藤計劃トリビュート (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃トリビュート (ハヤカワ文庫JA)

 

 

個人経営っていいよねって話。

この前、たまたま博多でゲーム屋を見つけました。今時珍しい、個人経営のゲーム屋。今や無名チェーンすらなくなり、有名チェーン以外はほぼ消えていってるなか、福岡にまだ個人経営のゲーム屋あったのか…と驚いた。
呉服町あたりのGEOの地下にあります。
んで、そこはもうゲームめっちゃ山積みしてあるのだけど、品揃えがいい。とりあえずSFCのケーブル買いました。すると「家のTVにS端子させるとこある?」と言われ、わかんないと答えると、「じゃ普通の三色ケーブルのやつ売るけど、もし家のTVがS端子使えたらS端子対応のケーブルと変えてあげるよ。S端子だと全然画質違うよー」と言われた。
うーん優しい。というか、ああマジでこの人ゲーム好きなんだなと思った。

んで、今日は那珂川町と南区の境あたりのゲーム屋に。古本も扱ってるのだけど、呉服町のゲーム屋以上にもうごっちゃごちゃ。一通り回って、SFCすーぱーなぞぷよを購入。買うときに「何時くらいから開いてます?」とか、「何置いてます?」とか他愛のない会話をして、帰る。
こっちのゲーム屋は特にエピソードあったわけではないけど、「何のゲーム置いてます?」て聞いたときに「買取したもんならなんでも置いてるから、古いのも色々あるんだろうけど、整理しきれなくて…笑」て言ってた時は和んだ。

こういう個人経営って、気付いたらつぶれちゃうのだなぁ。ゲーム屋は気づいたときにつぶれたのはいくつもあった。
それで少し思い出したのが、小学校の頃に行った、個人経営のカードショップの話。
そこはじいさんがなぜかカードに詳しく、じいさんがカードの買い取りをしてた。じいさんのまわりに近所の子供がたくさん集まってたから、なんかほんとにおじいちゃん家って感じだなぁと思った。昔ながらの、カウンターのすぐ裏が居間みたいな商店をそのまま使ってたから余計そう思った。友達に教えられ、隣町の知らないとこに買いにいくのはめちゃくちゃ楽しかった。
しばらくしてそのカードゲームはやらなくなって、高校になってから、まあ7年ぶりくらい?に記憶を辿って行ってみたことがある。
小学校時代に二、三回行った程度なのにたどり着いたので、自分の道の記憶力を誇らしく思った。
その店に入ると日曜なのに客は一人もいなかった。
入るとおばあちゃんが一人しかいなかった。話しかける勇気がなかったので、そのまま出るか悩んだけど、こっちが話しかけたらおばあちゃんが色々話してくれた。

小学校の頃はかなり売れていたが、おじいちゃんがしばらくしてから亡くなられてしまって、自分ではカードのことはわからないので、新しい買い取りができなくなったそう。とりあえず今あるものを売るだけ売っていたけど、だんだん客が来なくなり、町に別にカードショップが出来たりして客は全く来なくなったとのこと。
だから自分が久々のお客だったんだとおもう。
結構話し込んで、カード五枚セット(一枚ベリーレア入り)みたいなのを買って、帰った。
流石に品揃えがよかったとはお世辞にも言えなかったので、たまには行くかという程度だった。


たぶん一年か二年か、そのくらいしてふと思い出して行ってみたが、そこは既に更地になっていた。


まあ、品揃えとか考えても、つぶれるべくして潰れたなぁ、とは思ったし、別に自分が同情してカード買いまくることもなかっただろうけど、いつも通ったとこが潰れる以上の寂しさがあった。
人知れず潰れちゃう感じというか。

クソ古いジジイみたいな話をするけど、チェーンよりも個人経営の方がいいと思うんだよね。チェーンが悪いわけでなく、イメージとしてはチェーンはあくまで「古いものを売りたい…」「古くてもいいから安いものを買いたい…」というニーズを合わせるために仲介してるという感じ。
個人経営は好きでやってる感じ。好きで古いもん集めて古いもん売ってる感じ。もちろん全てはそうとは限らんのだけど。
あと単純に、少ない人数でこじんまりやってると、チェーンより愛着わくよね。「その人の接客を受けに行こう!」じゃないけども。
あのおばあちゃん元気かなぁ。

最近古本屋もそうだけど、中古ゲーム屋は更に減ってしまった。
「こんなクソゲーおいとるんかい!」みたいなゲーム屋を見ることが減ってしまった。悲しい。チェーンばっかりになって、値段もほぼ一律になって掘り出し物も無くなってしまった。悲しい。
ネットで便利に手にはいるようにはなったけど、その分転売や値段のつり上げが横行して、結局物によっては前より手に入りづらいようなことになってる。

もうひとつ個人経営の利点をあげておくと、「個人がやってるから個性が出る」、これに尽きる。
今はネットで商品自体はすぐ手にはいるようになったし、情報もバンバン入ってくる。けども、情報がバンバン入りすぎて、逆に今度は取捨選択が大変になってしまった。情報全てを拾うのは無理。拾えたにしても、その情報に沿って全ての気になった商品を買っていく、てのは難しい。
だから個人経営の店って、今こそニーズがあると思うんだけどなぁ。ないのかなぁ。本屋はあるみたいだけど、ゲーム屋はどうなんだろう。俺はすきなんだけどなぁ。また行こう。

ネタバレの話~作品を楽しめなくするものとは何か~

今年から毎日はてな記事を書くぞ!と思って10日が過ぎました。

去年は四日くらいで終わってました。いけませんね。一気に削除してまた一から始めようかと思いましたけど自分で読んで「なかなかおもろいやんけ」と自己満足したので全部は消しませんでした。短くても「ついったーに投稿するにゃ長いな」くらいの文章は毎日載せたいと思ってます。頑張ります。

 

さて、話は変わって。FGO年明けから始めました(Fate Grand/Orderのこと。知らない人は調べてね)。

どーしても原作Fate(stay/night)やってからやりたい…と思って避け続けていたが、なんか今年の1/1から始めるとよいと聞いたので始めた。ログインボーナスだけもらって、原作やってからやるか。と思ってた。

初回ガチャを引きました。

そのガチャに出てきたキャラの名前でめちゃくちゃネタバレくらって死にました。

はい。

でも自分の中でダメージが少なかったです。まあ原作始めたら「うわ…これネタ知ってたらつまらんやん…」てなるかもしれないですが、なんとかなるかなって感じました。

 

そのとき思ったのが、まず「なんでネタバレを自分は嫌がってたんだ?」ってこと。まあ言わずもがな、作品がつまんなくなるからですね。じゃあ、「そもそもネタバレってそんなに作品の楽しみを阻害するか?」ってこと。「というか、何が作品の楽しさを削ってるんだ?」という疑問に至った。というわけで、ゲームとか小説とかアニメとか、作品を消費するうえでもろもろあったこと踏まえつつ、上二つの疑問を解消していこうと思いますよ。

※先に言っておくと「自分の場合、ここはネタバレされても大丈夫だなー」という話に過ぎないので、不特定多数が見るとこでのネタバレはできるだけ避けましょう。ネタバレ推奨記事ではないよ。

 

・作品の楽しさってなんぞや

ネタバレされてきついパターンってなんや?と言われると、まあ作品100%全部知ってるパターンはつまらんですね。当たり前ですが。同じ映画とか小説とかマンガとかゲームとか、まあ二回三回リピートすることもありますが、ある程度忘れてからですからね。多分完全に覚えてしまってたら、あんまり見ないかもしれない。時に完全に覚えてでも何回でも見る人もいますが、そこまで好きな作品てそうそう出てこんと思うのでまあ例外と言うことで。

ともかく、だいたいがほとんど知らない・覚えてない状態で楽しむのが普通。と思う。

推理モノなんか、特にそこうるさいというか、教えるなよ絶対!みたいな感じがある。なんでかーって言われると、そんなに見たことないんであくまで推測ですが、やっぱ自分で「こいつが犯人か?」「いやこいつか!?」って探す楽しみがなくなっちゃうからかなと。そこが推理ものの核だからなのかなあ、とか。もちろんそれ以外もあるんだろうけど、たとえばネタバレされてる状況で、「本当はAが犯人だけど、Bが犯人のように見える仕掛け」があったとして。それみてる間はつまらん気がします。目の前でやっていることが茶番になってしまうと思うので。その作品を見るのが二周目なら、それをニヤニヤしながら見れるでしょうが、やはり一周目はそこで「誰だ!?」ってなるのが楽しいんじゃないかなあと思うのであります。

僕は推理ものは逆転裁判ダンガンロンパをやったくらいで、小説も映画もあんま見てないですけど。その二つは特にネタばれしたらいかんなーと思いますし、攻略も半日やって一向に進まない…みたいなことにならない限り見なかったですね。だって推理ゲームですから。ドラマや小説みたく視聴者としてストーリーを見ているだけじゃなくて、自分で操作して自分で答えに導いていくわけですから。知ってたらあんまりつまんない。逆転裁判も好きなんですけど、2、3周したらさすがに話も細かい部分の答えもだいたい覚えてきて、つまんなくなってしまいました。

唯一見た東野圭吾真夏の方程式」「容疑者Xの献身」の映画も…うーん2回はいいかな…笑

作品て基本的に一回楽しめたらOK!で、もう一回楽しめる!って作品は少ない。

そう考えると、ネタバレの罪深さって結構なものなのかな…と思い始めた次第。

 

いや、いやいやいや。うーん。

ネタバレが大丈夫なパターンがある気がして記事を書き始めたのですが、案外ない。

案外どころじゃないよ、全然ないよ。

 

つまりは「は~~~~~~~~めっちゃ好き何回見てもええわ」みたいなやつ以外はネタバレダメージがデカイ。

はっきりいって、ネタバレの範囲が狭けりゃセーフかもしれない…としか言えない…

作品を楽しむ第一回、初めて作品に触れるときの体験を奪っちゃうわけだがら、かなり罪深いですねほんとに……

 

うーん、めっちゃエラそうなタイトル付けたけど、10日くらいまじめに考え込んだけど、ネタバレは罪!!!!!!!!!!!クソ!!!!!!!!!!!

けど自分で楽しめる範囲がまだまだあるんならOK!!!!!!!!!!!!!!!!!!セーフ!!!!!!!!!!!!

 

はい。特に何も役に立たない記事でした。

去年こういう記事何個も消してたから毎日の連載が成り立たなかったんだな…と思ったのでクソ記事ですが載せることにしました、はい。

いやあの、これもいくつか理論立てしようといくつか話書いては消えたんですよ、はい。なんか古畑任三郎とか、犯人の名前先に明かすタイプの推理モノだから、なんかそこからネタバレされても楽しいみたいな話につながるかなとか思ったんですが、予想以上につながらなかったです、はい。

「ネタバレされても、自分で楽しめる範囲がまだまだあるんならOK!!」以上の意見が出てこなかったです。はい。

いやあの、ついでにもう一つ言い訳させてもらっていいですか。勝手に話します、はい。

他のつまらんかった作品の例をあげてネタバレの話につなげたかったがつながらなかったし、そもそもつまらんかった作品のこと書いてると「なんでこんなクソな作品のことかかなあかんねん!!!!!!!!!!!!」ってキレそうになったのでやめました。

あ、でもちょっと話します、おわりっていったけどちょっと話します。

ネタバレされなくてもくそつまらん話ってなんだろなて思ったら、「作業感ある作品」と言えばいいのか。「消化してるのが作業でしかない作品」。テンポが悪いとか、引き延ばしがぐだぐだとか、そういう……そう…いう……その……作業感、ある、作品……うんそれもうただの「つまらん作品」以外の何物でもないわ………うん………ちょっと今回のテーマもう少し引っ張りたかったですがもう無理ッス……

何か…何かがひらめきそうでこう…何も進展がなかった……

何か思いついたらそのうち書きます、はい……

明日からはマシなもんが書けるよう努力します、反省…………

いやでも絶対ひらめく…そのうちひらめく…

情報に振り回されないように~ネット上で情報を見極めるやり方~

はいどうも。ネット使って16年の者です。

まあ長く使ってるからなんやねんという話なのですが。

でもここ最近思うことが。

Twitterでよくわからない情報のRTがめっちゃ回ってくる

僕からすれば「おいおい」みたいな信憑性のツイートが回ってくる。

なので、そこの情報に関して色々書きたいと思います。

以下ざっくりとしたブログの目次。

 

前半:デマツイートそのもの、あるいは間違ったツイート、間違えやすいを取り上げます

後半:それを踏まえて実際の震災時のツイートを見ていきます(2016年、熊本震災当時)

 

震災情報の見分け方に関しても記載しているので、それだけ知りたい方は前振りはちゃちゃっと読み飛ばしちゃってください(下の方に書いてます)。

まあ、できれば全部読んで、情報の扱い方をしっかり意識してほしいですが(笑

 

・緊急時はウソ情報・誇張された情報が広がりやすい

今震災ということで、情報の確度がしっかりしていない情報がたくさん流れてきている。理由としては①報道だけでは足りない、素早い情報を人々が求めている②何かを批判(特に震災の支援に関する障害になる行為に関しての批判)する記事に対して、ヘイトが集まりやすい

まあこの二点でございます。

素早い情報がSNSで流れてくることに関しては、何とも言えないところではあるんですけどね。被災している人々からすれば、命にかかわるわけで、誰でもつぶやけるSNSで情報共有するのは助けになることがありますから。

でも被災者(あるいはその関係者)以外の人々ぐらいは、そういった情報に冷静になっていただきたい。

不安になると人々は藁にもすがる思いで情報にしがみつきます。それに情報ソースがなくとも、その情報が自身を助ける可能性が少しでもあるなら、引き寄せられてしまう。だからこそ、そんな被災者の人々に、我々がゴミみたいな情報投げてたら最悪ですよね。我々が冷静でなくてどうする。我々が情報を精査して、被災者側を安心させなくてどうする。我々がいらん情報を信じて、広めて、積極的に被災者を不安に追い込んでどうする、って話なんですよ。特にヘイト記事とかね。

我々が騙されないため、というのはもちろんですが、我々が被災者と情報源の間に入って、アホみたいな情報のフィルターになれたらいいですよね。

というわけで、見極めるために必要なことを書いていきたいと思います。

 

信頼できる情報元を持つこと

まあ見極める方法、ではないですが、一番大事なのはこれです。インターネットなんてどこぞの人間が情報を発信しているか、わかったものではありません。画面の向こうでどんな人間が情報発信しているか分かりません。

なので、わからないうちはNHKの公式アカウントだとか、政府機関のアカウントとか、そういう信頼できる情報元だけを調べることです。

慣れてきたら、普通の一般人の中でも、まともな情報を発信している人がいたりして、そういった人を見分けられるようにもなってきます。ともかく、困ったらここ、みたいな情報源を持っておくことが重要です。

②①以外の情報は全部疑ってかかれ

最初はこれめっちゃ大変だと思います。だってそんな情報、めちゃくちゃ大量に流れてますからね。でも正直、①でも言いましたが、ネット上ではほんとに誰が情報流しているかわかったもんではないので、そのくらいの気持ちでないとウソ情報に流されます。

「でも見極め方わかんねーよ」

という方に、とりあえず何個か実際のツイートを例に、見極め方、情報元の探し方を書いていきたいと思います。いい教材が見つからなかったので、震災と関係ないツイートがいくつかありますがご容赦ください。震災関連に絞って判断したい人は、下二つはちょちょっと飛ばし読みしてオーケーです。それよりさらに下の方に特に震災関連のツイート扱ってます。)

(※あくまでも”この情報に疑ってかかれるかどうか”を確かめるための資料に使うだけであって、以下に上がったツイートが批判されるべき、という意図を含むわけではないのであしからず。特に僕は、情報はこちらが見極める力を持つべき、と常々思っているので、確度の低い震災情報のツイートに関しても、善意から来たツイートや、大多数に発信するつもりがなく呟いたツイート、などがあると思いますので、悪意のあるデマツイート以外は批判するつもりはありません。ご理解ください)

 

 ここで取り上げるのは、このツイートに掲載されている画像のツイートですね。一時期話題になりました。

(2019/1/3 更新 元ツイート消えてるのかな?ここには「福岡で震度7がきます!」と書いているが根拠のないツイートが貼られておりました。)

このツイートはそれをデマだと指摘するツイートですが、大元のツイートは、一体どこが信憑性がないのでしょうか?

・情報元がわからない。

ここですね。情報元がわからないものはまず疑ってかかるべきです。こういうときは、ちゃんと情報源を辿り、いつ、どこから発信された情報なのかきっちり調べましょう。素人の言うことを真に受けない。

大元のツイートは、いつ、どこの放送局で、どこの発表の情報なのかがさっぱりわかりません。そこで先ほどの①を活用して、信頼できる情報元である気象庁の情報を覗いてみますが、そんなことは発信していない。よってこの情報は信憑性がない、と切ることが出来ますね。

 

ではもうちょっと詳しいやり方に触れていきましょう。(以下二つ、震災と関係ないツイートです)

 

 このツイート、一時期流行ったかなり巧妙なツイートなんですが。一見ほんとにニュース画像を呟いているよう。どこに疑う要素があるのでしょう?

・いつのニュースかわからない。

・情報元がわからない。

さっきの地震ツイートと同じく、情報元がわかりません。

まあこれは有名なので調べればすぐ出てきますけど。

見た目が怪しいにも関わらず - Google 検索

↑これは一例です。ニュースの文言、内容を色んなワードで調べてみましょう。困ったらGoogle画像検索などを使用して、ツイートされた画像を探しましょう。

調べたら、このツイートの画像は創作動画であることがわかりました↓

テレビパン - YouTube

 

では次です。

 

 これも同様に、情報源がわからないですよね。いつ言ったか、ということも不明確。

なので先ほどの例をもとに、検索してみます。

君たちは在職中 吉田茂 - Google 検索

これで調べると、どうやら防衛大学の卒業式に吉田茂が発言した内容みたいですね。

これはちょっと難しいんですが、調べているとこういうサイトが出てきます。

crd.ndl.go.jp

この文面の最後のほうに、

・・・・・引用ここから
「君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすることなく自衛隊を終わるかも知れない。非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され……」
・・・・・引用おわり
〔出典:平間洋一.大磯を訪ねて知った吉田茂の背骨.歴史通.2011,No.13,p.176-184.から〕

とあります。引用された書籍名もしっかり記載してあって、これで情報源がはっきりわかりましたね。ちなみにこのインターネットサイトは「レファレンス協同データベース」と言って、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。国立国会図書館が運営しているサイトなので、このページ自体も信頼できますね。

時間があれば大元の情報源である雑誌の信頼性も調べたいところですが、それは時間がかかってしまうので、ここまで調べられれば文句ないでしょう。

ようは「素人の呟いている情報は、最終的に正しくても確実さを求めるには時間がかかる」っちゅうのがポイントです。

「なんや、素人でもちゃんとしたこというとるツイートあるやん」とか思うかもしれませんが、それを確認するのが時間かかります。そんならもう大本のちゃんとしたアカウントから出ている情報見た方が早い気がしますね…

 

(以下震災関連のツイートの見分け方)

 

さて、では実際の震災関連のツイートを使って、もうちょっと実践的な情報の見分け方にまいりましょう。

余裕のある人は、今まで紹介したやり方でも問題ないと思います。

けども、震災関連だと、「そんなん調べてる暇ねーよ!!」となることがありますよね。特に被災者の方々。

ですので、「100%本当とは言い切れないが、信用に値する情報」の例をあげておきます。

 

 この情報。情報源は記載されていません。

しかしポイントがいくつか。

・情報がかなり詳細に書かれている(詳細な時間や配布量の記載)

・細かい情報を知りたい場合、自分で調べられるようになっている。

特にポイントなのは後者です。

このツイートは営業している銭湯の情報をツイートしていますが、それぞれの銭湯の連絡先や場所をしっかり明記してありますね。これで、この情報がウソかホントかも確かめられますし、もし仮に状況が変わった場合でも、自分で確かめることが出来ます。情報発信主が、発信に関して気を遣っていることがわかります。

しか、安心はしないように。気になるのは巡視船の情報。

こっちは確かめるための連絡先や、どこの巡視船が行うか、また、日にちなども書いていませんね。このライン画像がいつのものかもわからない。

まあグーグルで「巡視船」と入力したら、巡視船という名称のものは海上保安庁のものしかないということはわかるので、海上保安庁ツイッターを覗いてみます。

twitter.com

どうでしょう。確かに、8時~20時に支援を行っていた日もあるようですが、日によって給水・電源供給・入浴支援時間が違うことが分かりますね。あのツイートが回ってきて、その日の情報かとそのまま信じ切ってしまったら、支援を行っていない時間帯に行ってしまうことが起こってしまいますね。

読み飛ばした人はまた読み返してほしいんですが、見極めるポイント①にも書いたように、こうやって信頼できる情報元をきっちりたどる、ということを常に意識することが大事だと思います。

 

ここまで読んで、特に被災者の方はこのようにも思ったんじゃないでしょうか。

「いやいや、じゃあ政府機関とか、信頼できる情報源からの発信が間に合わない情報はどうするの?調べても出てこない場合とかさ」

この場合でも方法はあります。

・よくわからない情報でも、色んな視点からの発信源が大量にあれば、情報の確度は上がる。

例えば僕は被災者ではないですが、前震が起こったすぐ後に「熊本城の石垣壊れた…」というツイートがいくつか流れた時に「ほんとか?」と思いました。事実、原発が燃えただとか、ライオンが逃げ出したみたいなデマも流れてたみたいです。そういうデマツイートは、調べてみると、全くおんなじ画像が使い回されているので、すぐにわかります(こういうときも、google画像検索が便利)。

しかし、熊本城の方は、ツイッタ―上で調べてみると、熊本城の石垣が壊れた画像が、それぞれ全く別のアングルでいくつもあがっていました。それで僕は「ああ、本当なんだ」と思いました。

デマを流したい人は、そこまで手間をかけないので、例えば10人がデマを流そうと思って、10人が全く別々の画像を使う、なんてことはほとんどないです。

それぞれ別の視点で、同じ情報に関して語られていることで、その情報の確度があがるわけです。別の視点、これめっちゃ大事です。デマを皆が一様に語ってたら信憑性あがるのか、って話なので。

 

「いやいや、救助ツイートとかはどうするの!その場にいる一人しかその情報を知らない可能性があるじゃん!!」

 

そこまでくると、もう自分で信じるか否かを決めるしかありません。

僕はできる限り信頼できる情報を集める方法、確認する方法を書きましたが、それを信じるかどうかは、最終的に自身で決めるしかありません(政府アカウントすら信用できない、という方ももしかしたらいるかもしれませんし)。あなたの心に聞いて下さい。

地震雲とか地震予知ツイートも上がっていましたが、それも自分で信じるかどうか決めるしかありません。まあ僕はそこいらは科学的根拠がないのであまり信じていませんが…。

 

いかがでしたでしょうか。

確かにSNSが広がって、情報はすぐに手元に届くようになりました。

しかし、それを発信しているのは、あくまでもただの一般人である可能性があるということ、受け身なだけでは危険だということを、忘れないでください。

めんどくせー!こんなことしなきゃいけないのかよ!

そう思った人もいるでしょう。けれども、ウソの情報をつかまされたら、その手間以上の損害が出ることだってあり得ます。

普段から、ネット上の情報の分別を行う癖をつけておきましょう。

おわりです。読んでいただきありがとうございました。

注目されてほしいマンガたち―①市場クロガネは稼ぎたい

どうも。
マンガのお話です。

市場クロガネは稼ぎたい(作者:梧桐 柾木) 少年よ、大金を抱け!? 学園マネーゲーム開幕!! #市場クロガネは稼ぎたい #MangaONE http://manga-one.com/info.php?title_id=8

マンガワン、アプリからしか見れないので、面倒な人は「裏サンデー」でググって1話を見てみてください。マンガワンだと時間制限付きですが全部読めるので、そっちのがオススメではありますが。

さて、この市場クロガネは稼ぎたい、なのだが、絵柄的にも一見すると少年マンガっぽい。この話は、ひとつの島が学園都市になっており、この島では通貨は「学円」しかなく、それは学生たちで自ら部活動(扱いとしては現実世界の会社のようなもの。たとえば新聞部や服飾部など。株式発行もできるなど、実質経済にかなり近いかたちになっている)で稼ぐ。その学円で経済は回っており、学生のみでその島の経済を回しているのだ。
基本的に話は非常にわかりやすく、そういう意味では少年マンガだし、僕も最初読んでいる時は普通の少年マンガかと思っていた。
しかし読み進めていくと、経済に関してわりと深く書かれていくことがわかる。M&Aや株式、財務諸表、ベーシックインカムなど、少年マンガにしては深く書かれており、そのわりにはめちゃくちゃわかりやすく、かつ「説教臭く」書かれていないのだ。
こういう学問が関わるマンガで難しいのが、どうも一部でその学問を教えることが先行してしまい、説教臭くなってしまうことがある。しかしこのマンガは、絶対にそうはならない。話の軸をしっかりと残しつつ、うまくその経済的な話をマンガのネタとして昇華しているのだ。
僕的には、まず13限目(13話)ぐらいまでは読んでほしい。僕的に「ほほう」と思った第一段階なので。ここで僕は「そこらへんの少年マンガ」から「より深く人間を描く少年マンガ」へとランクをあげた。そこらへんの少年マンガ、とは、まあ少年マンガだし人間の描き方はこんなもんでいいでしょ、って止まっているマンガのこと。そのノリで読んでいて、「はいはい、これで解決ね」とか思っていると裏切られる。イメージしていた少年マンガよりも、人間の描写を一歩踏み込んで描いてくる。

で、深く人間を描く、というところで大事なところが、人間の暗いところの描き方なんですよ。僕の言う「そこらへんの少年マンガ」だと、そこが甘いんです。明るい部分を理想論で描いていくために、どうしても暗い部分を一部無視していく形になる。
このマンガも、1話だけ見ると「ただ稼ぐだけのマンガじゃん」と思いがちなんですが、このマンガは「稼げなかった人」=凡人側の意見も描かれているんですよね。
そこらの話は35~45話辺りを読んでいただければ。そして山場である50話。ここらが一番おもしろいです。
経済の話になると、「持つもの」「持たざるもの」の話がちょくちょく出てきますよね。つまり、環境や才能に恵まれた人と、そうでない人のこと。最近のマンガとして多いのは、そうでない人側の意見を取り入れていることが多い。あんまりにも理想論語りすぎるマンガは、いくらマンガといえどもいやあり得んでしょって読者に切り捨てられてしまう。それだけ現在の人々が持つ不信感や現実に対する失望感が強いんだと思います。そういった時代らしいマンガって感じですね。「稼ぐ」ということに切り込んでいった作品です。

僕が評価する少年マンガというのは、「少年マンガ的な、サクサク読む読み方もできるし、かつ深い考察もできるマンガ」であり、マンガとはそうあるべきだと思っています。
これはマンガとして非常に面白い上、経済的な考察の深さも目を見張るものがある。
どちらの読み方でもオススメなので、ぜひ。
(マンガワンは基本無料で、初回三時間読み放題、で、一日に計20分無料時間が配布されるマンガアプリです。毎日4,5話ペースで最後までタダで読めるので、是非使ってみてください)