ばしこ氏のブログ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

注目されてほしいマンガたち―①市場クロガネは稼ぎたい

どうも。
マンガのお話です。

市場クロガネは稼ぎたい(作者:梧桐 柾木) 少年よ、大金を抱け!? 学園マネーゲーム開幕!! #市場クロガネは稼ぎたい #MangaONE http://manga-one.com/info.php?title_id=8

マンガワン、アプリからしか見れないので、面倒な人は「裏サンデー」でググって1話を見てみてください。マンガワンだと時間制限付きですが全部読めるので、そっちのがオススメではありますが。

さて、この市場クロガネは稼ぎたい、なのだが、絵柄的にも一見すると少年マンガっぽい。この話は、ひとつの島が学園都市になっており、この島では通貨は「学円」しかなく、それは学生たちで自ら部活動(扱いとしては現実世界の会社のようなもの。たとえば新聞部や服飾部など。株式発行もできるなど、実質経済にかなり近いかたちになっている)で稼ぐ。その学円で経済は回っており、学生のみでその島の経済を回しているのだ。
基本的に話は非常にわかりやすく、そういう意味では少年マンガだし、僕も最初読んでいる時は普通の少年マンガかと思っていた。
しかし読み進めていくと、経済に関してわりと深く書かれていくことがわかる。M&Aや株式、財務諸表、ベーシックインカムなど、少年マンガにしては深く書かれており、そのわりにはめちゃくちゃわかりやすく、かつ「説教臭く」書かれていないのだ。
こういう学問が関わるマンガで難しいのが、どうも一部でその学問を教えることが先行してしまい、説教臭くなってしまうことがある。しかしこのマンガは、絶対にそうはならない。話の軸をしっかりと残しつつ、うまくその経済的な話をマンガのネタとして昇華しているのだ。
僕的には、まず13限目(13話)ぐらいまでは読んでほしい。僕的に「ほほう」と思った第一段階なので。ここで僕は「そこらへんの少年マンガ」から「より深く人間を描く少年マンガ」へとランクをあげた。そこらへんの少年マンガ、とは、まあ少年マンガだし人間の描き方はこんなもんでいいでしょ、って止まっているマンガのこと。そのノリで読んでいて、「はいはい、これで解決ね」とか思っていると裏切られる。イメージしていた少年マンガよりも、人間の描写を一歩踏み込んで描いてくる。

で、深く人間を描く、というところで大事なところが、人間の暗いところの描き方なんですよ。僕の言う「そこらへんの少年マンガ」だと、そこが甘いんです。明るい部分を理想論で描いていくために、どうしても暗い部分を一部無視していく形になる。
このマンガも、1話だけ見ると「ただ稼ぐだけのマンガじゃん」と思いがちなんですが、このマンガは「稼げなかった人」=凡人側の意見も描かれているんですよね。
そこらの話は35~45話辺りを読んでいただければ。そして山場である50話。ここらが一番おもしろいです。
経済の話になると、「持つもの」「持たざるもの」の話がちょくちょく出てきますよね。つまり、環境や才能に恵まれた人と、そうでない人のこと。最近のマンガとして多いのは、そうでない人側の意見を取り入れていることが多い。あんまりにも理想論語りすぎるマンガは、いくらマンガといえどもいやあり得んでしょって読者に切り捨てられてしまう。それだけ現在の人々が持つ不信感や現実に対する失望感が強いんだと思います。そういった時代らしいマンガって感じですね。「稼ぐ」ということに切り込んでいった作品です。

僕が評価する少年マンガというのは、「少年マンガ的な、サクサク読む読み方もできるし、かつ深い考察もできるマンガ」であり、マンガとはそうあるべきだと思っています。
これはマンガとして非常に面白い上、経済的な考察の深さも目を見張るものがある。
どちらの読み方でもオススメなので、ぜひ。
(マンガワンは基本無料で、初回三時間読み放題、で、一日に計20分無料時間が配布されるマンガアプリです。毎日4,5話ペースで最後までタダで読めるので、是非使ってみてください)

他人の顔色伺って何もできないつまらない生き方

どうも。つまらない生き方をしているものです。

さてさて、今回は「他人の顔色を伺う」ということについてなんですが。他人がどう思っているかについて全く気にしない人はそうそういないでしょう。相当強い人です。まあただの自己中なだけかもしれませんが。
ここで言うのは「他人の顔色を必要以上に"気にしすぎる"人たち」のお話です。
僕もわりと他人の顔色を異様に気にするマンです。うまく軌道に乗れば、他人とはすすすーっと仲良くなれるのですが、そうでないとめちゃくちゃ半端になるんですよね。特に大学なんか、何回かあったことあるだけの知り合いとすれ違った時に「あーこれは挨拶すべきかな~いや向こうたいして俺のこと覚えてないでしょいやでも無視するのもあれだしうーんうーんよし気づかないフリしよ」ってなって、向こうから挨拶されて申し訳なく思ったり、逆に挨拶したらガン無視されたりしてそのたびに凹みます。
僕は人の相談に乗ったりすることが多いので、相談乗ったりだとか逆にこっちが相談したりとか、いったん相手のこと深く知ると大丈夫なんですが、相手のことわからんうちはあわわ~ってなりっぱなしです。浅く広い関係ってのが無理なんですよね。なんか浅い会話ってのがどうも苦手で、何かを語ったり、或いは相談だったり、何かを議論したり、そういった会話がないとなかなか人と仲良くなれない。どうも、会話を深い方に深い方に、ともっていきがちになる。
だもんで男子大学生の友達がやったら少ないんですよね。なんかみんなでワイワイ遊ぶ、とかも苦手なたちで、人を誘う以上、なにかしら理由がないと難しい。ただ遊ぶ、ってのが無理なんですよね。いやできないことはないけれど、それをきっかけにもう一回行こう!とかなる方ではない。基本的に他人と遊ぶ時は、相手を知るためであって、わりと会話に重きを置くので。
僕の場合順序が逆なんですよ。なにかしらを話して、お互いを知ることができてから、ただ遊ぶだけ、ってことが可能になる。一般の男子大学生と多分真逆なんですよね。
つまり、どこか他人に怯えているところがある。相手を知ってからでないと、深く仲良くなれない。一度でもいい、10分でもいい、互いの悩みや語りたいことを話すことが少しでも出来れば、「あいつとは深く話すことができる」ってなって、以降普通に接することができるんですが。それがなかなか難しい。

他人に怯えている、という根拠として、他人が自分に向けるマイナス感情にはやたら敏感で(敏感であることと気を遣えることは別)、プラス感情は「いや向くわけないでしょ」ってしか思ってないんですよね。プラス感情でないにしても、自分に対する感情がフラット(プラスでもマイナスでもない)であると思うだけでもめちゃくちゃ時間がかかってしまう。最近は大分マシになって、フラットに持っていくまで時間はかからなくなったんですが、でもいまだに、まだ仲良くなっていない人からのマイナス感情はやたら気にして、相手が思っていなくとも「マイナス感情を抱いているのでは?」と思ってしまうんですよね。

さてさて、ここまで自身の「他人の顔色を伺うこと」に関して書いたわけですが。正直この生き方くそつまんねぇなって思うわけです。なんで見ず知らずの他人の顔色なんぞ伺って心疲れなきゃならんのかってはなしで。冷静に考えるとめちゃくちゃバカらしいわけです。でもまあ気にしちゃうもんは気にしちゃう。僕の場合は、多分幼い頃、親父がごくごくたまーに理不尽に怒鳴るのがトラウマになっていて、いまだに親父とは真正面から話ができない。顔色を伺ってしまう。そこから来ている性格だと思うので、根が深くてなかなかやめらんないわけですよね。そういう性格の直し方をネット見てたら「自分中心で考えていきましょう」なんて出てきましたが、自分の意見がないんですよね。「他人に対する自分の意見」や「なにかに対する自分の意見」は腐るほどあるんですが、"他人"や"物事"が先に来ない、純粋な自分の意見は全く無くて。それか抑え込みすぎてわからないだけなのか。
自分の意見ってのがないと、社会にほっぽりだされた時に大変だとは思うんですけどね。

というわけで。
顔色伺って生きると大変だし、くそつまんねぇなってなるからやめましょう。けどやめられたら苦労せぇへんわアホ、って話でした。
おしまい。

(追記 2019/2/12)
二年経って読み返すとずいぶん違いますね。
根本は変わってないですが、昔より顔色うかがうより「うるせぇアホ」ってなる率上がりました。
ぼかぁ「うるせぇアホ」ってやりすぎて高校死んだよで、そちら方面に暴走するのが怖いのですが……

社会人になって思ったのは、「これ打ち明けてなんか言われたら殺す」みたいな気持ちで色々暴露することです。
打ち明けたら優しくしてくれるのに、相手の顔色伺いすぎて打ち明けられず、結局あとでめちゃくちゃ大変なことになって、「なんで打ち明けてくれなかったの!?」となることが多々ありました。
そこで「打ち明けやすい環境作りせぇや………」とかしてると、向こうは「なんかしてあげたいけどわからん……」ってなって、結果的に助けてくれる人だったのにあなたの元を去ってしまうはめになります。
そうならんように「打ち明けて酷い対応したら殺す、お前打ち明けろっつったろ」みたいな気持ちで打ち明けるの大事です。
打ち明けないと何に悩んでるかすらわからないので、向こうも怒鳴ることしかやることなくなって悪循環になります。

だもんで、「顔色伺いすぎて誰にもなにも相談しない」は敵しか作らんのでやめましょう。

ブログ。

ブログを始めるに当たって、ひとつ言っておかねばならないことがある。
僕が他人に何かを伝えるのがめっちゃ下手であること。
いや、下手ではない。ある程度はスキルは身に付いている。が、どうも会話にしても文章にしても、「うーーん話したぜ!!!!!満足!!!!え??意味がわからなかった??うーんでも俺自身は満足なんだよ!!!!!!じゃあね!!!!」みたいなクソのようなスタンスがどこかにあるからである。
昔は特にひどかった。さながら通り魔のように、話を聞いてくれそうな人を見つけては会話のガトリングガンを放ち、500連発ノンストップとかやってそのまま逃げ去るとかいうことをやりながら小学校は過ごしてきた。
さすがに大人になるにつれ少々マシにはなったが、小学生のときに生成された自己はなかなか深く根付いているようで、やはり時々「うーーん!!!!ガトリングガンぶっ放つか!!!!!!!」という気分になることがある。
ブログ概要に書いている「駄文」とは、そういう時にかいた文章のことである。他人に理解してもらいやすく、面白く。何度も推敲する。などという物書きの基本を全て省略した、文芸部にあるまじき文章のことである。
昔と変わったことのもうひとつとして、他人にちゃんと伝えたい~~~~~~という欲が昔より増したのだ。話しただけで満足できなくなってきた。それが増したのでわりと推敲するようになったが(この記事も大したことかいてないのに、一旦ガトリングぶっ放してもう一度書き直している)、前述にあるように、気分で機銃掃射するつもりで本ブログを開設したので、どうかその点はご了承いただきたい。
極力理解してもらえるように書くつもりなので、まあよろしく。
日々考えてることとか、マンガ、ゲーム、アニメ、メンヘラの考察を書いたりする予定。
とりあえず今日はこんなところで。